翻刻
【右丁】
れしとそ聞へける中納言利長わかきより軍にしたかひ
志津か嵩石動末森等を始とし筑紫関東の戦に至る迄
終に不覚の名をとらすはしめ関白殿 越中国三郡を
たまひ羽柴の号ゆるされ肥前守に任し 侍従を経て
慶長二年の秋参議従四位下 同三年夏従三位中納言
に至る《割書:世には利長の参議さ【たヵ】りしのみを伝ふ公卿|補任を按するに従三位 中納言に至れり》太閤薨し給ひし
時秀頼の傅を仰おかる《割書:利長をはいたきもり|と定める所らるといふ》此年卒して
後加賀越中の地を領し《割書:八十一万石を領す 能登国は|舎弟膩侍従利政か領せし也》此年八月
廿八日利長入部のために加賀国に趣くかゝる所に石田
三成か謀にて利長 謀反のよしにて討手向ふへしと
【左丁】
聞ゆ利長大にいかり討手を待て 戦はんとす 家人等か
はからひて老母を関東へまいらせ誤り なき旨をあら
はし又舎弟犬千代丸を よつきとし 中納言殿の御娘を
むかへ参らせ国ゆつらん事をちかはれしかは世の疑とけぬ
明る五年の秋徳川殿奥の会津を伐給ふ時 利長北国の
大将として既に打たらんとせし所に上方又軍起けれは
利長同国大聖寺の城攻をとし小松の城下に戦ふて
金沢の城に引返し徳川殿海道を攻上り給ふと聞て
参合のために北国より 打のほり九月廿日大津の駅に
して御陣に参らる舎弟能登侍従 利政か此たひの