伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 31

ページ: 31

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【右丁】 侍従兼淡路守菅原利次は中納言利常の二男母上は 光高に同し寛永八年十二月十五才にして元服任官の事 あり正保二年閏五月六日越中国富山の城をわかち給ひ 《割書:十万|石》延宝二年七月七日 卒す 五十八歳その子掃部頭 利昌寛文二年叙爵し同八年従四位下に 叙し 大蔵太輔になり父卒して家をつく 侍従兼飛騨守菅原利治は中納言利常の 三男母上は 光高に同し寛永十一年十二月十五日十七才にて従四位下の 飛騨守に任し正保二年閏五月二日加賀国大聖寺の城 をわかち給ふ《割書:七万|石》同三年十二月侍従になされ万治三年 【左丁】 四月廿一日卒す四十三歳其子飛騨守利明 誠は小松 中納言の末子童名は万吉丸兄のよつきとなり従五位下 大蔵少輔に任し寛文元年飛騨守になる同き三年 従四位下に叙す 大和守菅原利孝は大納言利家の四男将軍家より別に 所帯をたまひぬ《割書:上野国 七日市の地一万石○世につたふる は|利家の 舎弟 前田 右近秀継といふ 此大和守》 《割書:利孝そのよつきに なりし也 そのゝち利長の 母芳春院と申せしか|徳川殿へ参られしに 大和守 利孝 きはめて 母の愛せし子》 《割書:なれはつれて関東に 下らる 関ヶ原の軍終てのち 利長|加賀能登くはへたまひかの 母にも 一万石の 地給ひし》 《割書:また土方河内守 雄久にも 上野七日市の地くたしたまふ|此土方は 利長ゆかりの人にて此度利長とともに 北陸をしつめし》 《割書:賞なり 此時に老母関東にあれは そのたよりよからんために|利長望みて 土方か領と加賀の地とをかへて七日市をは芳春院》