伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 35

ページ: 35

翻刻

【右丁】 侍従になさる慶長五年の秋奥の景勝追討のため に下向す上方の軍起りしかは 引返して美濃国 にて岐阜の城攻をとし関か原の合戦に多くの敵 うち破り兄高次か事心元なしとて御暇申 鞭鐙 あはせて馳のほり近江国長浜の在家に火をかけて 大津の城にいたりしに城をはすてに攻をとさる同十一月 丹後国を給て《割書:十二万|七千石》丹後守になされて此たひの功を 賞せらる高知 田辺の城をこほちて宮津の城を築 てすむ大坂前後の軍して元和六年八月十二日五十一歳 にして卒し子息三人に所領わかちゆつる侍従兼丹後守 【左丁】 高広は高知か五男なれと家をつく《割書:七万五千石○按するに|高広か母は故の毛利》 《割書:河内守秀頼か娘なり としいとけなけれと|嫡子たれは家をつきしなるへし》はしめ元和二年十二月 従五位下の侍従になされ《割書:系図ならひに武家補任におなし|父子双ひて侍従に任する事覚束なし》 家をつきてのち寛永三年八月 従四位下に 叙し 大御所の御外孫輝政参議の娘にあひ倡して男三人 をまうく年頃眼煩ふて承応三年四月廿三日所領子息 にゆつり入道して安智斎と号す其嫡子侍従兼丹後守 高国はしめ叙爵して山城守に任し寛永廿年十二月 従四位下に昇り家ゆつられし年侍従になされ丹後守を かぬ寛文六年の四月父の入道高国か 無道の事とも