伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 37

ページ: 37

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【右丁】 七十九歳にて卒しぬ入道の二男下総守高治は是より さき慶長五七月廿九日に卒す三男信濃守高勝は 兄か流されてのち明る寛文七年めし出されて同き 十二月廿七日 わつかに 俸禄を給りぬ《割書:俸米五|千俵》 修理大夫源高三は丹後侍従高知か三男也父卒して 後田辺の城をわかち領し《割書:三万石または|三万五千石とも》寛永十三年九月 十六日に卒す其後飛騨守高仲家をつき寛文三年 正月七日三十二歳にて卒すその子六丸父につき寛文 三年十二月叙爵して伊勢守高盛と申す同しき 七年八月二十九日身の煩によつて致仕す其子甲斐守 【左丁】 高任実は高仲の二男兄のよつきとなる 舎弟兵部に 所領をわかつ《割書:三万五千石のうち|三千石をわくと云》寛文八年五月廿一日但馬 国豊岡の地に移る《割書:按するに豊岡にうつりし事高盛か|時とす高盛は此一年の前寛文七年に》 《割書:致仕せしより武家補任に|見ゆおほつかなし》 主膳正源高通は丹後侍従高知か二男 実は高知か外 甥朽木兵部少輔貞綱か二男也《割書:貞綱妻は|高知か妹也》高知はしめ 長子万作丸死し男子なけれは養ふて子とす高知か 所領わかち譲られ丹後国丹波郡を領す《割書:峯山と云所|一万三千石余》寛文 五年近江国水口の城をまもり十二月十四日彼城に 卒す六十三歳嫡子主膳正高供家をつき《割書:一万|千石》舎弟