翻刻
【右丁】
等に所領わかつ《割書:二男伊織 千石|三男左門 千石》高供延宝二年二月
廿八日に卒すとし五十二歳子息 備後守高明 父
につく
【左丁】
黒田 《割書:後賜 松平 付》市正高政
筑前守源長政は勘解由孝高入道か男也 宇多天皇の
御末佐々木源三秀義か曽孫京極近江守氏信か男佐渡守
満信か二男黒田左衛門尉宗満か末葉備前国赤坂の郡
福岡の住人下野守重隆赤松か被官として播磨国
姫路の城にうつり住重隆嫡男美作守 職隆故
あつて小寺と名のるこれ孝高入道か父也けり孝高始は
小寺官兵衛と名のる黒田勘解由とあらため入道の後
如水軒と号す 初め美濃守 職隆織田殿に志を通して
天正三年赤松別所等と おなしく 上洛し信長の見参