翻刻
【右丁】
北条滅ひて後遠江国横須賀の城を給《割書:三万石○但し子息|豊氏に給ひしとみゆ》
年老て後入道し兵部卿法印になさる金森入道素玄
徳永入道寿昌これら三人は当時の故老たるによつて
殿下御相伴衆の随一にて世人三法印と名付《割書:御咄しの|衆と云》入道
又徳川殿にもしたしく伺公す太閤薨し給ひ彼家の奉行
等徳川殿失ひ参らせんとし大坂伏見の間物さはかしかりし時
入道父子常に御館を守る関ゕ原の軍に父子又御方して
軍しけれは父入道には本領摂津の有馬を給《割書:二万石領し|三田に住す》子息
玄蕃頭豊氏には丹後国福知山の城を給《割書:六万|石》入道年積
て八十余歳慶長七年七月十四日卒すこの月十九日
【左丁】
大御所御養女を以て豊氏に配せらる《割書:家忠日記追加に いつ|大御所の御甥長沢》
《割書:松平源七郎康忠の娘を養君とし給ひし○按するに|此道の卒せし事遠き境にていまたしれす婚礼有しにや》豊氏父有馬
郡を賜《割書:合せて|八万石》十六年十二月十四日豊氏の嫡子生年九歳
にて関東に赴き将軍家に見参す明る十八年御前に
て御装束給て元服し兵部の輔になされ御諱字賜て
忠郷と名のる《割書:のち|忠頼》豊氏大坂両度の軍に随ひ首五十七
きつて献る元和七年筑後国久留米の城を賜ふ《割書:二十一|万石》
寛永三年八月従四位下 同十一年七月侍従になさる
同十五年春子息中務大輔忠頼と共に肥前国島原城に
むかひ攻おとし十九年 晦日七十三才にて卒す《割書:此人将軍家|御伽の衆》