翻刻
【右丁】
《割書:也と|いふ》子息従四位下中務太輔忠頼《割書:初は兵部|少輔忠郷》母は大御所の
御養女也 承応四年三月廿日関東に赴とて備前海上に
て卒す年五十三才《割書:此年改元実は|明暦元年也》其子従四位下玄蕃頭頼利
家をつき十七歳にて寛文八年六月二十四日卒し舎弟従
四位下中務太輔頼元を嗣とす
伊予守源豊範は忠頼か外姪【甥ヵ】にて小出修理亮吉重か
末子也忠頼はしめ子まうけさりし時養て子とし所領
わかちあたふ《割書:一万|石》中務太輔頼光【ママ】家継しはしめまた
所領わかちあたへぬ《割書:一万石合て|二万石領す》
【左丁】
山内 《割書:後賜松平》
土佐守藤原一豊は鎮守府将軍秀郷朝臣十代の孫
山内の首藤刑部丞義通か後胤但馬守盛豊か二男也
盛豊生国は丹波の人尾張国に移て上の織田につかへ
その家の老として 黒田の城に住《割書:足利殿の御時三管領の|一ッ武衛の家世々尾張》
《割書:国の守護たり尾張八郡の地を二ツに わかち 家人して おさめ|しぬ上四郡は織田 伊勢守 信安守りて岩倉の城にあり》
《割書:此家を上の織田といふ下四郡は織田大和守まて主の武衛と共に|清洲の城にあり信長の御父弾正正忠信秀は此大和守か下の三奉行の》
《割書:其一人|なり》弘治三年岩倉の合戦にうち死す嫡男十郎父と
供に討れぬ《割書:時に十|六才》一豊十三才にて父とはなれ長大の後
猪右衛門尉と名のりて 織田上総介信長 朝臣につかふ