翻刻
【右丁】
高名をあらはし諱字給りて信輝とは改ける弘治元年
四月尾張の海津の合戦に信輝一番に首を取同三年
正月武蔵守信行《割書:信長の|舎弟也》謀反の聞へありて信長討手の
勇士三人まて撰まる三人共にうち損し信行母上の
御方ににけたまふに信輝折ふし廊下に伺公せしか
馳むかひとつておさへさし殺しまいらす《割書:此時に信輝|二十二歳》浮野名古屋
桶はさま等の合戦を初として度々の武勇をあらはし
元亀の初尾張の国犬山の城に一万貫の地つけて給ひ
一方の大将をそ賜りける其後又こゝかしこの合戦にさきかけ
して敵をやふる事いくらと云数をしらす《割書:安土日記信長記|太閤記等を按すへし》
【左丁】
天正六年摂津の守護荒木摂津守村重謀反す信輝父
子討手の大将承り森勝蔵長一と《割書:信輝|か聟》同しくむかつて
終に荒木を討亡すその 勘賞として有岡尼か崎
花隈等の城を加賜《割書:みな是|摂津の地》同九年犬山の城をは 聟君
源三郎殿にゆつり参らす《割書:信長の|五男也》明れは十年五月四国の
地退治せよとて三七信孝を大将とし丹羽蜂屋人々
摂津の地に至るに及て同六月二日信長信忠明智か《割書:此時|秀吉》
《割書:兵庫に至て信輝に会し秀吉の子秀次を 信輝のむことなし信輝の|二男輝政を秀吉の養子とすへき事をちかひ二人髪を薙てうちたち》
《割書:しと|いふ》ためにうたれ給ふ羽柴筑前守秀吉山陽道より 馳
上つて尼か崎に 至る三七信孝諸卒をひきゐやかて