伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 5

ページ: 5

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【右丁】 高名をあらはし諱字給りて信輝とは改ける弘治元年 四月尾張の海津の合戦に信輝一番に首を取同三年 正月武蔵守信行《割書:信長の|舎弟也》謀反の聞へありて信長討手の 勇士三人まて撰まる三人共にうち損し信行母上の 御方ににけたまふに信輝折ふし廊下に伺公せしか 馳むかひとつておさへさし殺しまいらす《割書:此時に信輝|二十二歳》浮野名古屋 桶はさま等の合戦を初として度々の武勇をあらはし 元亀の初尾張の国犬山の城に一万貫の地つけて給ひ 一方の大将をそ賜りける其後又こゝかしこの合戦にさきかけ して敵をやふる事いくらと云数をしらす《割書:安土日記信長記|太閤記等を按すへし》 【左丁】 天正六年摂津の守護荒木摂津守村重謀反す信輝父 子討手の大将承り森勝蔵長一と《割書:信輝|か聟》同しくむかつて 終に荒木を討亡すその 勘賞として有岡尼か崎 花隈等の城を加賜《割書:みな是|摂津の地》同九年犬山の城をは 聟君 源三郎殿にゆつり参らす《割書:信長の|五男也》明れは十年五月四国の 地退治せよとて三七信孝を大将とし丹羽蜂屋人々 摂津の地に至るに及て同六月二日信長信忠明智か《割書:此時|秀吉》 《割書:兵庫に至て信輝に会し秀吉の子秀次を 信輝のむことなし信輝の|二男輝政を秀吉の養子とすへき事をちかひ二人髪を薙てうちたち》 《割書:しと|いふ》ためにうたれ給ふ羽柴筑前守秀吉山陽道より 馳 上つて尼か崎に 至る三七信孝諸卒をひきゐやかて