翻刻
【右丁】
明智を誅戮し宗徒の家人等と尾張の清洲の城に参会
して織田殿の世継の事を議せらる秀吉等謀つて嫡子
孫三郎殿を《割書:後に岐阜|中納言秀行》嗣とし御成人の程御領の国々を分て
宗徒の輩沙汰すへしとて 摂津の地をは信輝に属せらる
《割書:大坂尼か崎兵庫|等の地十二万石》信長うせ給其後信輝髪薙て勝入と号し
嫡子勝三郎之助紀伊守になる秀吉柴田修理亮勝家
を亡し三七殿を弑し奉りてのち信輝に美濃国大柿の
城をあたへ之助に岐阜の城をあたふ《割書:天正十一年|の事也》秀吉又北畠殿
を失ひ奉らんとせし時信輝か父子秀吉の方人して《割書:豊臣|家譜》
《割書:を按するに此時信雄より御使給て勝入か父子幷にかれかむこ 森武蔵守|長一御方に参るへきよしを頼まる秀吉又尾藤甚右ヱ門尉してくみせらる》
【左丁】
《割書:へきよしを申さる入道家子郎等あつめて 此事を議せしに片桐半右ヱ門|すゝみ出ていかに信長の御恩をわすれ給ひて 秀吉の方人たるへきといふ》
《割書:伊木清兵衛これを聞て片桐か申所ことはり 至極せりさりなから家をも記|し子孫の後栄をも はかられんには 秀吉にくみし給ふにしくへからすと》
《割書:いふ入道も心まとひしてとやせんかくやあらんと わきかねしに秀吉か|さねて津田隼人佐を使として 秀吉にくみせられんには美濃尾張両国》
《割書:の事進退にまかせらるへしといひ送られしほとに 忽に心うこきて|秀吉の方人していかにもして 功をあらはさんと思ひしとなり》
まつ手合に犬山の城を攻落す 徳川殿は北畠殿たす
けて清洲の城に至り給ひ天正十二年三月十七日御方の人々
まつ森武蔵守長一か羽黒の陣をうち破て秀吉の多勢
に向ひ小牧の山に陣をとる同き四月四日勝入秀吉の陣
に《割書:秀吉犬山|に陣す》行向つて徳川の勢日々に馳集ると見へて小牧
のかたき多勢になつて候只今は家康か国々に残る勢