翻刻
【右丁】
られ明暦二年侍従に任し寛文九年六月十五日致仕す
同き八月五日卒す六十一歳子息従四位下土佐守豊昌
《割書:はしめ|筑後守》家つきし年十二月侍従に任す
修理大夫藤原忠直《割書:山内と|称す》忠義か二男母忠豊におなし
《割書:按するに【「一」脱ヵ】豊の弟忠義の父修理亮といひし也ことし|此忠直して其跡つかせしにや 詳なる事をしらす》父の所領わかち
ゆつられ《割書:三万石と云|墾田にや》寛文七年六月九日五十五歳にて卒す
其子右近大夫豊直父に継て《割書:二万七|千石》延宝五年十月十二日
卒す子なかりしかは弟大膳亮直久よつきとなる《割書:直久初|父か領》
《割書:三千石わかち領す兄か家をつきて|おのか領をあはせ三万石を領せし也》
【左丁】
堀 《割書:付 松平越後守忠俊| 近藤信濃守政武》
左衛門督藤原秀治は利仁将軍八代の孫堀権大夫秀高
の末孫故左衛門督秀政の男也はしめ美濃国住人堀掃部大夫
某斎藤山城入道道三に属し岡部の地を領し一方の大将
たり其子掃部大夫某其子太郎左衛門尉秀重これ秀政か
父也けり秀政はしめ久太郎と申て織田殿に仕ふ智謀勇
才抜群也しかは近江国長浜の城を給ひ其後秀吉に
随ひまいらせ天正十一年同国佐和山の城を給ひ又羽柴の号
ゆるされ右【ママ】衛門督になさる同十三年越前国を賜ひ北庄に移る