翻刻
【右丁】
《割書:二十九万八百五十石此内秀政みつから領するところは十八万八百五十石なり|寄騎の大名村上周防守義明六万六十石 溝口伯耆守秀勝四万四千》
《割書:石を給ふ|といふ》四位に侍従して天正十八年関白相模の北条
をうたれし時一方の大将にて攻下り《割書:右軍の 総大将にて|多くの大名したかひし也》
忽に病して五月廿七日早川口にして卒す とし三十八
惜まぬものこそなかりけれ《割書:柳生但馬守宗矩の物かたりありしは|此時宗矩と 細川玄蕃允興元の手》
《割書:につきてせめ下る秀政の卒せし時高き人もいやしきものをおしき人に|いひし世の人名人左衛門と名つく天下の指南しても越度あるましき》
《割書:人也といひきこれ天下をも しらせたき 人也といふこと也 此人の|弟を多賀出雲守といふ北庄の城修し築く時に 秀政 此出雲守》
《割書:はからひあしき事あつてはちかましくいはれたり多賀口おしき|事に思ひその明るあした北庄をさりてゆく秀政聞て不便の事也》
《割書:道にてこそ飢へけれとて黄金十枚取出して人をはしらせてはな|むけすその黄金つゝみたる紙をはつし一枚っゝ皺をのしてはこに》
《割書:おさむ近くつかふ小侍ともにむかひ凡たからはもちゆへきにありては|千枚の黄金おしむにたらす無用の事ならんにはこの十紙をも》
【左丁】
《割書:みたりに費すへからす 汝ら我をいやしみ|思ふ事なかれといひし誠に名言成しとそ》秀政男子三人嫡男は
左衛門督秀治二男美作守親良三男近藤信濃守正武と云
秀治父につきて四位の侍従兼左衛門督になされ慶長三年越後
国を給て春日山の城に移る《割書:四十五万石此内村上九万石|溝口六万石を給ひしと云》同五年の秋
徳川殿上杉中納言をうたせ給ひし時秀治北陸道より奥に
攻入へしと仰下さるかゝる所に大坂の軍起しかはまつ東国の
戦をはとゝめて東海東山二手にわかつて攻上らせ給ふに
よつて秀治奥にむかふに及はす越後にあつて上杉勢を
ふせく同き十一年三十六才にして卒す其男久太郎生年十三
才にて家をつき元服して越後守になされ将軍家の