伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・上) - 翻刻

藩翰譜(七・上) - ページ 52

ページ: 52

翻刻

【右丁】 御諱字ならひに御家号給て 忠俊と名のり大御所の聟 君とそなされける《割書:大御所の御外孫本多美濃守忠政の|姫を御養君となされてあはせられし也》爰に家人堀監物 直清舎弟丹後守直寄兄弟の間不快して直寄兄かため に讒せられて越後国をさつて《割書:慶長十|四年》関東に参り又駿河の 御所に赴き一封の書を献て愁訴し陳慶長十五年閏二月 三日両御所直清直寄を駿河に召決せらるゝに舎弟か申所 其理あり又越後守忠俊書を献て直清か訟をたすく大御所 御前の人をして忠俊書を読せられ只一条を聞召れ幼弱の ものいかてかゝる事を弁ふへき是直清所行也とて忠俊も坐 せられ奥の岩城に流されて鳥居左京亮忠政に預られ 【左丁】 直清は出羽国に流され最上出羽守義光に預らる 美作守菅原親良は故左衛門督 秀政か二男越後国蔵王 の城を領す《割書:四万石此内一万石は家人|近藤織部重勝領せしと云》慶長七年兄秀治か二男 鶴千代丸を養て 所領ゆつり 我身は都にのほり住 ̄ム 《割書:一万八千石を鶴千代丸にあたへて|みつから一万二千石を領せしといふ》鶴千代丸ほとなく卒しけれ は親良関東に参りて 将軍家に仕へん事を望申す 《割書:親良母方につきて 氏改めて|菅原になりしは此ほとの事成へし》同き十一年下野国真岡の地を たまひ《割書:一万二|千石》そのゝち又美濃国にして地くはへられ 大坂前後の戦に したかひ寛永四年下野国烏山の 城をたまひ《割書:二万八千|三百石余》同十四年五月十二日に卒すとし