翻刻
【右丁】
五十八歳嫡男美作守親昌家をつき舎弟等に所領
わかつ《割書:二男孫太郎親智三千石|三男三五郎親泰三千石》寛文十二年閏六月朔日信濃国
飯田の城にうつり《割書:本領の|まゝ》延宝元年七月十六日六十八歳
にて卒す其子周防守親貞家をつく
信濃守藤原政成《割書:近藤と|称す》故左衛門督か末子家人近藤
織部重勝に養子として美作守親良の所領をわかち
領す《割書:一万|石》慶長五年上洛して徳川殿につかへ奉り其後
元和四年六月廿一日三十一歳にて卒す子孫わつかに
家をつく《割書:其子孫今は四千石を領すはしめ大御所につかへし時いか|ほと給ひしにや所領減せし事いかなる事ともいまた》
《割書:きか|ず》
【左丁】
堀 奥田 《割書:付》 千之助直足
丹後守藤原直寄は監物直政か男也直政尾張国住人
にて織田殿に属しもとの名字は奥田とそ申ける堀
久太郎秀政は従弟たれは秀政か手につけらる度々の高名
世に顕はる《割書:或説直政は斯波民部少輔滿種の後尾州奥田といふ所を|領せしより奥田とは名のりたりそのゝち美濃国に移りて》
《割書:茜郡に住す重政か祖奥田三右衛門其父同七郎五郎某当国鷺山の合|戦に無双の大力道家孫二郎をうつて世には悪七郎五郎と名つく直政》
《割書:伊賀国亀田城【ママ】にさきかけし勢州峯の城にして山岡道阿弥と鎗を合す|その余長篠山崎志津か嵩等所々の高名あけてかそふへからすといふ》
秀吉関白の時に至て 越前国を以て秀政に随ひ直政して
堀と名のらす《割書:此時に源氏を改て|藤氏と称すると云》秀政の子秀治越後国に移
りし時三条の城を守る《割書:五万石を領せしと云慶長六年の乱に直政柏|崎に陣して当国の凶徒をうちたいらけき》