翻刻
【右丁】
初直政秀政か女にそふて雅楽助直清をもうくその外孫
也けれは家をつかす三十郎直寄は母賤しけれは年長しぬれと
よつきとはせす直寄童より太閤の御所にめしかはる朝
鮮の事起りし後直寄十六才の時に至て毛利右馬頭輝元に
つきて望申せしは抑仰をかうふりて朝鮮にゆき
道にたへすあはれ直寄も一度御使を承らはやと申
けれは望申所神妙也と仰下され慶長三年秀治越後
国を給ひし時に及て三十郎直寄丹後守に任せられかの国の
目代になされて坂戸の城を領す《割書:殿下より一万石を給ひ秀治又一万|石をあたへ合て二万石を領す》
同しき五年の秋東西 軍起りし時に当国は上杉か代々
【左丁】
領せし国なれは上杉の催促にしたかひ所々に賊徒起りて
下倉の城をせむ八月二日丹後守直寄か手勢引くし後巻
し五百余人首きらせみつからも太刀打して首をとり
同き二日四日市の城をうち二百余人か首切て徳川殿
御父子に参らす御書共給て其功を賞せらる《割書:此功よつて|二万石給り》
《割書:あはせて四万石を領すといふ説|あり実記には見へす覚束なし》同十一年左衛門督秀治卒し越後守
忠俊つく十三年監物直政死して嫡男雅楽助直清
父につきて監物と名のる直清直寄母同しからされは
兄弟の間むつましからす父なくなりてのち相論の
事起りて明る十四年直寄坂戸をさつて関東に