翻刻
【右丁】
戦ひに首八十七切て献る 松倉豊後守重正【ママ】と道明寺
の功をあらそつて両御所の御裁断を仰て同き二年
越後国本庄の城にうつる去年の賞とそ聞えける
《割書:今の村上也はしめ八万石を 給ふほとなく 江戸の城つかれしとき|十万石の役うけ給るへきよし望しかは 九万石の役を仰下さる》
《割書:そのゝち又所領の田検地せしに一万石を得しよし申て かさねて|十万石の役を望しによつて 其請にまかせらる此事元和四年》
《割書:の事にや○一説に坂戸を領せし後 信濃の川中島を給ひ元和|二年越後の高田に移り同き四年村上にうつるといふこと〳〵く》
《割書:あやまれるに似たり○ふるき人の申せしは此人つねの領に十万石|を領せは時に乗して天下をもしらるへきものといひしか八万石》
《割書:を領せしのちいかにもして十万石に至らん事をおもひて かく|いろ〳〵にはかりてつゐには 本意のことく成し也まことは其租入》
《割書:十万石はあるましき也たとへは百石をは二百石と注し千石をは二千石と|注しあたふ汝か わか家をさりて他の主につかふる事あらんに今まて》
《割書:はいかほとの禄【録は誤】知行せしとおもはれん時のため也といひし当世に名|利をもとむる輩はまつ此人につかへん事をねかひしかは高名の 侍》
【左丁】
《割書:おほくありし事也 すへて此人の身の上 いろ〳〵の物語多き人なり|今吉祥寺にある大仏の塑像も此人の模し成して庭にすへ》
《割書:をきもてあそひし所也|といふまことなるにや》直寄六十三歳にして寛永十六年
六月廿九日に卒す嫡子兵部太輔直次 廿九歳にて
寛永十五年七月十五日 父にさきたちて卒しけれは
直次か子千之助直定は嫡孫なれはとて家をつかしむ
千之助直定四歳にして 祖父か家をつき寛永十九年
三月二日七歳にして世をはやうしけれは其家絶ぬ
丹後守藤原直時故丹後守直寄か二男父か卒せし時
其所領わかち給ふ《割書:越後村松の地三万石|開発の田也とかや》寛永十九年十二月
叙爵し明れは廿年二月廿九日廿七才《割書:これ家の説也|世には千之助》