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右あらまししるし侍る此たぐひおしはかりしるべし
㊇五節句(こせつく)の事《割書:付たり|》亥子(ゐのこ)の事
正月七日《割書:わかなの節句といふ七くさのかゆをみかどに奉る日なり七草|いふはぐぎやうはこべ 仏のざ すゞな すゝしろ せり なづな》
三月三日《割書:もゝの節句といふもろこしにては此日きよくすいのゑんとて|水辺にさかづきをうかへ詩をつくりあそふ事なり》
五月五日《割書:あやめの節句といふあやめ草をみすきちやう門戸にかゝれば|一年中のじやきをはらふといへり》
七月七日《割書:たなばたまつりといふ牽牛織女といふふうふのほし一年に|一どこよひあひあふといへりきつかうでんともねがひのいとともいふ》
九月九日《割書:菊重の節句といふもろこしじとうといふ人てきけん山にすみて|此日菊水をのみてよはひわかくなりしとなり》
右を五節句といふ八朔(はつさく)はこのほかなり十月の豕子(ゐのこ)といふ
日は女のとりわけいはふへき日なりもろこしの楊貴妃(やうきひ)
といふ美人(びじん)十月亥日にむまれいやしき身ながら玄宗皇帝(けんそうくはうてい)
といふみかどの御てうあひをえたりこれよりそのころの
むすめの子(こ)もちたる人(ひと)は楊貴妃(やうきひ)にあやからんとて楊貴妃
の誕生日(たんじやうにち)に餅(もち)をつきいわひたる事 今(いま)につたわりて亥(ゐの)
子(こ)と名(な)つくと也又ある説(せつ)に豕(ゐのこ)といふけた物(もの)は子ををゝく
うむものなるゆへ亥(ゐ)の月(つき)の亥の日 女(をんな)へつしていわふ
事なりともいふ十月は亥(ゐ)の月(つき)なりはしめの説なれは
亥子(ゐのこ)と書(かく)のちの説(せつ)なれば豕子(ゐのこ)とかくなり
㊈新(しん)やまと言葉(ことば)《割書:幷に|》物(もの)のかり名(な)
一あきつ島(しま)とは 日本(につほん)の事也 一日のもととはわがてうの事也
一あつまとは ひがしの国(くに)也 一こしぢとは ふるさとをいふ
現代語訳
以上、おおまかに記した。この類いを推察して知るべきである。
五節句のこと(付:亥の子のこと)
正月七日(若菜の節句という。七草の粥を帝に奉る日である。七草というのは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロである)
三月三日(桃の節句という。中国ではこの日を曲水の宴といって、水辺に盃を浮かべて詩を作り遊ぶことである)
五月五日(菖蒲の節句という。菖蒲草を軒や柱、門戸にかければ、一年中の邪気を払うといわれている)
七月七日(七夕祭りという。牽牛織女という夫婦の星が一年に一度、今宵会うといわれている。乞巧奠とも願いの糸とも言う)
九月九日(菊重陽の節句という。中国の費長房という人が、適県山に住んで、この日菊水を飲んで齢が若くなったということである)
以上を五節句という。八朔はこの外である。十月の亥の子という日は、女が特に祝うべき日である。中国の楊貴妃という美人は十月亥の日に生まれ、身分の低い身でありながら玄宗皇帝という帝の寵愛を得た。これより、その頃の娘を持つ人は楊貴妃にあやかろうとして、楊貴妃の誕生日に餅をついて祝ったことが今に伝わって亥の子と名付けるのである。また、ある説によると、猪という獣は子をたくさん産むものであるゆえに、亥の月の亥の日に女の安産を願って祝うことであるとも言う。十月は亥の月である。最初の説なら亥子と書き、後の説なら豕子と書くのである。
新大和言葉ならびに物の仮名
一つ、秋津島とは 日本のことである 一つ、日の本とは我が朝廷のことである
一つ、あずまとは 東の国のことである 一つ、越路とは 故郷を言う