翻刻
問けるに亭主いふやう此白河と申は昔より故あるとかや聞し
なりあの東を見給へ里一村の森陰をははた立の里と云
彼判官殿奥より打て上り給ひし時出羽の佐藤の二人の
子御供申てのほる故子共に名残をおしまれて庄司も
是迄御供し子共を/呼(ヨヒ)てなこりおしみ給へる所とかや夫故
に里の名をはた立と申也猶も名所はありそ海の浜の
真砂の数ならぬ此身にて候へは語る言葉も白川の波の
立居に隙もなし只御茶まいれ茶の子はとあしをほしかる
馳走なり我も又長旅に宿賃たにも/乏(トホ)しくて/懶(モノウ)き事に
奥州と下野の堺なる二社の明神ふし拝み足野の町に来て
みれは三千石の左近殿なべ懸宿の者共は何とかいふそ大田
原山城殿の御知行はしりも壱万七千石九月も今は木部
の里目出度事を菊坂もはやさく山の宿とかや爰の町屋は
中〳〵に皆福原の淡路殿五千石の御拝領は千年ふるとも替らし
とかたく思ふは石橋の宿うち過てきつれ川茶屋に腰打
懸て所の事共問ひけるに女房答へけるはむかし足利殿の
住所にて中々あたりも面白き所かや然れ共今はゝや衰
微して僅に三千八百石と申す程に成て昔に変る名所