翻刻
そと人の申すにて候女の事に候へは委しく事は不存候也
扨は高氏の生国は爰成や/実(マコト)に/僅(ワツカ)の所哉今に名高く
聞え給ふされは唐土の文王は地方七十里より発り給ひ
我朝の尊氏は三千八百石より出たまふ去共心は一/致(チ)なら
ぬと叶はぬ事を思はんより先へいそくにしかじとてきつれ川を
立出て猶行末も白沢の宿打過てうつの/宮(ミヤ)此所はむかし
弥三郎とも綱の住所とかや今は御当家譜代の侍松平下総殿
十八万石とかや目出度所の大明神利生あれやとふし拝み今の心は
すゝもりの其宿〳〵の鳥の音もむかしなからと菊嶋やすゝめの
宮を過行くはこかねまき田の里迄も皆のけ町と聞からは何の思ひか
荒木の里西に見なしてゆく程に粉我の町にも着にける爰こそ
土井大炊殿十二万石誠に江戸の近所といひみえ渡りたる/在(ザイ)といひ
御城町屋のかまへ迄とかふ申に及はれすやあ/不斗(フト)思ひ出たり
そのかみ源三位頼政平氏の軍に打負所は宇治の平等院
其期に望んて扇をしき鎧ぬき捨自害の時/手近(テチカ)き郎等
にいはれけるは我死して後骸を火葬して骨を己か首に懸て
日本を修行すへし留らんと思ふ所にて奇特有へきそと
語り終に腹を切給ふ其如くして骨をはづだに入日本を廻る時