翻刻
【右丁】
球の言語風俗の本邦に似れるを以て考るに地脈連続
し海上僅に百五十里許甚遠からず然も道の嶌《割書:大嶌徳|の島等》
《割書:を是を北山といふ薩の南海百四|十里に在と云是を道の嶌といふ》在て泊舩の港多し豆
州の七島より八丈島へ渡るよりも猶易かるへし昔時
源為朝能教諭し風を易へ俗を移し玉はヾ 永世其蹟英
大なるべきに地略の術に疎くして終に明の冊封を受
るに至る其後薩摩侯戦略の功により復帰すといへど
も又風俗を改易へす此時国王に吾冠服を賜ひ陪臣頂
を剃て吾俗に易へ監察を置て唐山の冊封を停め迎恩
亭天使官を■【毀ヵ】て厳に請封の事を禁せば唐山大なりと
【左丁】
雖とも是を討伐すること能はじ
五雑俎に云琉球小而貧雖中国冊封為栄然使者一至其
国誅求供億為之一空甚至后妃簪珥皆以充数亦曰琉球
小而貧弱不能自立雖受中国冊封而亦臣於倭蓋倭使至
者不絶与中国使相錯也蓋倭与接壌攻之甚易中国豈能
越大海而楥【援ヵ】之哉と猶未に論ずべし
此国明の水楽以前分て三となる中山山南山北各王あり
宣徳の頃并て一とす分て三省となる中山を中頭省とし
山南を島窟省とし山北を国頭省とす府の土名を間切と
云郡と言が如し卅七間切あり属する所を村頭と云属嶋