翻刻
【右丁】
其国の民仕官出身の事を伝信録に因て考るに国中の
人入て任官する者は惟首里泊那覇久米四村の人なり
餘は皆村戸其略国字《割書:此方の|伊呂波》を識る者を酋長とす之を
掟(さはき)と云《割書:奉_二文-檄 ̄ヲ_一調-遣 ̄シ_二|村-民 ̄ヲ_一任_二徭-役 ̄ヲ_一》其次を保長とす作事者(サイコ)と云皆下役
青緑帽を戴き終身之を為て升遷することなし
首里泊那覇三村の民を仁也(ニヤ)と云仕官の子弟未た仕へ
さるを呼て子とす子剃 ̄テ_二頂髪 ̄ヲ_一筑登之に陞る即登仕郎な
り次を筑登之座《割書:座は席|と云如し》と名く即登仕佐郎なり又大筆
者副筆者大官筆者と名くるあり又若筆者《割書:若は此方の|若年寄抔の》
《割書:若と|義同》村県大小の諸事を佐理す未 ̄タ_二入 ̄テ仕 ̄ヘ_一其入て仕る者は
【左丁】
地を授る之を筑登之親雲上とす是より漸く升遷して
察侍紀官に至ると云此を平民子弟入仕るの始とす
世官の子弟を呼り里之子とす蓋公子を言なり年小な
る者を内使侍郎とす里之子と名く日に内役に供し親
く侍従す年十五を過ぎ十八に至て頂中の髪を剃り小
髻に易へて後は復入らす《割書:是本邦にて前髪の者は大奥|に入り元服の後は入ことを許》
《割書:されさるに|似たり》地を授るを里之子親雲上とす是より漸く
升り親方に至ると云是宦家の子弟入仕るの始とす
久米村皆三十六姓《割書:明代賜ふ所の|閩中賜籍の家》其子弟の秀たる者年
十五六歳三四人を取て秀才とす其十三四選に及はざ