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【右頁】
とを聞き此備へあり弘治元年尚清薨す歳五十
九尚清為人英邁政を為して倦ます弊事を■■【𨤲(釐)革】
する所多し尚清疾篤きに臨み法司毛龍吟和為
美葛可昌を召して謂て曰吾れ将さに逝んとす
らすして瞑す為美可昌二人群臣に謂て曰世子
柔弱人君の任に勝へず四子尚鑑頴敏なり宜し
く立て王と為すべしと群臣敢て可否するもの
なし龍吟曰世子は正妃の生む所長を立つるは
古今の常典況んや遺命をや諸君若し遺命に背
【左頁】
かば吾れ自殺して先王に地下に訴んのみと声
色特とに励しければ二人畏縮して復た誣ふる
能はず議遂に定まる是より先き伊江島毎夜奇
光を放つ人を遣して視せしむるに一古鏡を獲
たり老僧を召して之を問ふ対へて曰是天照太
神の垂跡なりと即ち祠を島中に建て鏡を奉安
し老僧をして看護せしめ其寺を照大山と号く
と云ふ
弘治二年世子日始按司添立つ是を尚元王と為
す是歳我邉民の明の江浙を侵す者敗れて琉球