翻刻
天正元年第二子日豊操王立つ是を尚永王と為
す三年三月尚永天界寺僧及金乃大屋子を薩摩
に遣し方物を貢し義久の襲封を賀す是より先
き薩摩の使僧雪岑を待つの薄きを以て別使を
差して三司官等を責む是に於て併せて其謝辞
を陳す因て許して藩主に謁見せしむ待遇甚渥
し六年六月尚永天界寺の僧修翁及ひ妙厳寺の
住持僧等を薩摩に遣し方物を貢す七年明主朱
翊鈞其臣崇業等を琉球に遣し尚永を冊封す崇
業等還るに及んて奏して曰日本新に館を琉球
に建て兵卒百余人利刀を帯ひて往来し国人甚
た畏懾すと是歳首里の門榜を改造し守礼之邦
の四字を掲く八年尚永普門寺の住持僧等を薩
摩に遣し方物を貢す十三年四月尚永薩摩の封
境日々に拡まり既に六国を併すと聞き天王寺
の僧祖庭等を使とし賀書を呈し方物を貢す十
六年《割書:明万暦|十六年》豊臣秀吉島津義弘に命し琉球を招
諭せしむ義弘大慈寺の僧龍雲を遣し手書を尚
永に致し速に京師に来聘せしむ尚永之を諾す
是より先き秀吉関白に任せられ海内を統一し