翻刻
我ら掌握に帰せり頃ろ更に雄飛の志あり政化
を異域に及さんこと亦我素願なり会た□貴国
の使節先つ来る凡そ物遠きより得るを珍と言
ひ罕に観るを奇とすへし今遠方の珍奇を得る
何の悦ひか之に如かんや其地千里を隔つとい
へとも今より以後深く交誼を執らは異郷も亦
四海一家の情あり因て本邦の産物を贈り聊か
以て謝を言ふ余蘊は天龍寺東堂に吻付せりと
《割書:五事略曰関白ヨリ答ヘラレシ書ハ|鹿苑寺ノ僧西笑和尚草シタリト》十九年《割書:明万|暦十》
《割書:九|年》秀吉征韓の兵を起す此時に当り亀井茲矩秀
吉に請ひ琉球を討して己か有と為さんとす島
津義久父子之を聞き細川幽斎石田三成に依頼
し琉球の古来薩摩に付庸たるの由来を陳へし
む茲矩乃ち止む《割書:喜安日記曰亀井武蔵守挙テ既|ニ琉球入相催ノ時薩州ノ君修》
《割書:理大夫義久公御朱印ヲ申カヘシ相留メ給故ニ|国家安穏ナリキ是薩州ノ恩ニ非ラスヤ云云》
又原田孫七郎と云ものあり琉球に到り交易を
為すこと数年頗る其地理を諳んす因て秀吉の
侍臣に憑り説て曰吾琉球に赴き告るに征明の
事を以てせは彼れ必す来聘せんと秀吉其説に
従ひて書を作り原田に授く其略に曰本邦百有