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【右頁】
許さゝらしむ是より先き立久其臣五代友平を
京師に遣し足利義政に請ふ所あり因て此に至
るといふ二月尚円金剛寺報恩寺の住持僧及里
主等をして薩摩に聘問せしむ立久待遇殊に渥
し是歳明主正副冊使を遣し尚円を封して中山
王と為す尚円即ち謝恩使を発す使臣武実等帰
途福建に次とる時に従者土人を殺し財を奪ふ
明の礼部奏して曰琉球毎年入貢す故に動れは
奸弊を生す請ふ二年毎に一貢せしめんと明主
之に従う(是より清代に至り恒例と為る)五年六
【左頁】
月尚円長慶院の住持僧を薩摩に遣し書を其国
老に致し太刀を贈りて恩を謝し且船符及聘使
の二事謹て命に遵ふへしと報す又使を発し足
利義尚の継統を賀せんと欲し遂に果すこと能
はすと云ふ八年《割書:明成化|十二年》七月尚円薨す歳六十二
臣民哀号悲泣すること父母を喪ひたるか如し
とそ尚円の大位に登るや苛政を除き寛政を設
け仁を以て民を育し礼を以て人を待つ先世遁
隠の士争ふて仕を願ふ君子進み小人退き風俗
雍変し百姓業を楽み復た怨嗟の声なしと且巴