翻刻
【右頁】
志王の制に倣ひ大臣を遣して北山を監守せし
め大に昇平の治を致せり金丸年二十にして父
母共に喪ふ時に弟宣威年甫めて五歳家貧にし
て養育甚た困しめり金丸益々農事を務む会ま
大旱し田水皆涸る但金丸の田水満て漫々たり
村人皆疑ふて水を盗むものとし将に害を加へ
んとす金丸弁すること能はす竟に田園を棄て
妻及ひ弟を携へ海を渡り国頭に来り居ること数年
畢に王叔泰久の信する所と為る応仁文明の頃
《割書:明成|化年》寺を首里城外に建て天王と号け家廟の所
【左頁】
と為す《割書:明応三年円覚寺ヲ以テ宋廟ト為スニ及|ヒ天王寺ヲ以テ王妃ノ廟ト為シ尚稜王》
《割書:妃以下諸妃ノ神|位ヲ奉安スト云》又地を泊村の東南に卜し中山
の国王廟を建て舜天以下世々国王の神位を置
き寺を建て崇元と曰ふ《割書:冊封の時諭祭ノ礼此ニ|行フ又春秋二仲祭ルニ》
《割書:西土ノ礼ヲ以テス沖縄志ハ尚真ノ時明応|三年ノ創建ト為ス今世譜ニ従テ此ニ糺【紀ヵ】ス》又一
寺を浦添村に創め龍福と号す《割書:旧ト極楽寺ト曰|フアリ英祖ノ家》
《割書:廟ナリ後祝融ノ災に罹ル尚円因テ改建|今ノ号ニ更メ歴代ノ王朝ト為スト云》
文明九年春尚円の弟西之世主立つ之を尚宣威
王と為す蓋し世子幼冲法司相議して之を立つ
宣威恭謙にして篤行あり祚を践みしより僅か