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流(ナカ)サル。其子共同-類皆 流罪(ルザイ)セラル。基経ハ良相ノ
養(ヤウ)子ナリ。後ニ昭宣(セウセン)公ト申セシ人ナリ 七月。染
殿太-后(コウ)病⁻気 叡(エイ)山 ̄ノ相応(サウヲウ)祈(イノリ)テ。験(シルシ)アルニヨリ。伝教(テンゲウ)慈(ジ)
覚(カク)。共ニ大 師(シ)ノ謚(ヲクリナ)ヲタマハル。相応ハ。慈覚カ弟子ナ
リ。慈覚ハ。貞観六年ニ寂(ジヤク)セリ
九年十月。右大臣良相 薨(コウ)ス
十年十二月。左大臣源 ̄ノ信薨ス。学 問(モン)書 画(グハ)管-絃馬
鷹ノコトマデニ達(タツシ)タル人ナリ
十一年四月大納言藤原 ̄ノ氏宗。幷ニ参議大江 ̄ノ音(ヲト)
人。刑部卿 菅原是善(スカハラノコレヨシ)等奉テ。貞観 格(キヤク)ヲ撰(エラン)デ奉ル。
音人モ博学(ハクガク)ノ人ナリ。菅(カン)-家 江(ガウ)家ト相 並(ナラビ)テ代々
儒(ジユ)宗タリ 五月。奥州大-地-震(シン)死 ̄スル者 ̄ノ千-余-人
現代語訳
(善男の子どもたちや同類も皆流罪に処せられた。)基経は良相の養子である。後に昭宣公と申し上げた人物である。七月、染殿太后の病気について、叡山の相応が祈祷して霊験があったことにより、伝教・慈覚、両大師ともに大師の謚号を賜った。相応は慈覚の弟子である。慈覚は貞観六年に入寂した。
九年十月、右大臣良相が薨去した。
十年十二月、左大臣源信が薨去した。学問・書画・管弦・馬・鷹のことにまで通達した人物であった。
十一年四月、大納言藤原氏宗、ならびに参議大江音人・刑部卿菅原是善らが命を奉じて、『貞観格』を撰進した。音人もまた博学の人であった。菅家(菅原家)・江家(大江家)は相並んで代々儒学の宗匠であった。五月、奥州で大地震があり、死する者が千余人に及んだ。