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コレクション: コレクション1

BnF. Département des manuscrits. Japonais 317 - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 317 - ページ 382

ページ: 382

翻刻

 ヨ〳〵大勢ニナリケレバ。惟盛忠度等。頼朝ノ兵⁻威(イ)ニ畏(ヲソ)レ。一⁻   戦ニ及バス逃(ニゲ)テ福原ヘ帰ル。頼朝此 ̄ノ勢(イキヲ)ヒニテ。駿河遠江ヲ  平ケテ。鎌倉ヘ帰ル。時 ̄ニ黄瀬(キセ)河ノ宿(シユク)ニテ。九郎義経奥州  ヨリ来テ。頼朝ニ参⁻会ス大庭 ̄ノ景親モ。降(カウ)人トナリテ出ケ  ルヲ。斬罪(ザンサイ)セラル。伊東 ̄ノ祐親(スケチカ)ハ。生取(イケドラ)レテ三浦 ̄ノ介義 澄(ズミ)ニアヅ  ケラル。此祐親ハ。頼朝 流(ル)⁻人タリシ時。宿⁻怨(ヲン)アリ。然レトモ義  澄ガ舅(シウト)ナルニヨリテ。年ヲ歴(ヘ)テ赦免(シヤメン)アリケレバ。祐親自害  セリ。其外石橋山ノ合戦ニ。敵(テキ)トナリシ者 ̄ノ。大方赦免セリ  十一月頼朝。常陸国ヘ赴キ。佐竹秀義ヲ殺ス。鎌倉ヘ皈  テ。和田 ̄ノ義盛ヲ侍(サフラヒ)⁻所 ̄ノ別当トス 十二月。清盛。福原ヨ  リ都ヲ平安城ヘ復(カヘ)ス。主上上皇法皇皆 旧(キウ)都ヘ環(クハン)幸  同月。清盛ガ五男重衡大将ニテ。南都ヘ向ヒ。東大寺興

現代語訳

ようやく大勢となったので、惟盛・忠度等は頼朝の兵威を恐れ、一戦も交えずに逃げて福原へ帰った。頼朝はこの勢いで駿河・遠江を平定して鎌倉へ帰った。その時、黄瀬川の宿で九郎義経が奥州より来て頼朝に対面した。大庭景親も降人となって出てきたが、斬罪に処せられた。伊東祐親は生け捕りにされて三浦介義澄に預けられた。この祐親は頼朝が流人であった時に宿怨があった。しかし義澄の舅であるため、年を経て赦免があったが、祐親は自害した。その他、石橋山の合戦で敵となった者たちの大方は赦免された。 十一月、頼朝は常陸国へ赴き、佐竹秀義を殺した。鎌倉へ帰って、和田義盛を侍所別当とした。十二月、清盛は福原より都を平安城へ復した。主上・上皇・法皇は皆、旧都へ還幸された。 同月、清盛の五男重衡が大将となって南都へ向かい、東大寺・興福寺を...