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マケヽレハ。憤(イキトヲツ)テ北野ノ社(ヤシロ)ヘ籠(コモ)ル。徳本時ノ侍所。佐々木京
極(ゴク)持清ト相 議(ギ)シ。兵士ヲ遣(ツカハ)シテ捕(トラヘ)シム。悪党(アクタウ)等(ラ)放(ハナツ)_レ火 ̄ヲ。社頭(シヤトウ)
并 ̄ニ西京 悉(コト〳〵ク)焼亡(ゼウモウ) 八月。南朝ノ残(ザン)党 等(ラ)。南帝ノ官ヲ取立テ。
吉野 ̄ノ奥(ヲク)。紀伊 ̄ノ国ノ辺(ヘン)ニテ蜂 起(キ)ス。去年九月。奪(ウハヒ)取シ神璽。此
所ニアリケルトナン
二年十一月。二条 ̄ノ関白持基薨 ̄ス年五十八。後福 照(セウ)院ト号ス。
近衛 ̄ノ左府房嗣ト。一条前 ̄ノ摂政兼良ト。《振り仮名:執⁻柄|シツヘイ》ヲ争(アラソフ)テ。畠山
徳本ヘ。双(サウ)方ヨリ相議セラル。然トモ勅許(チヨクキヨ)ニヨリテ。房嗣関
白トナル。大納言藤原 ̄ノ時房内府ニ任ス 細川勝元管領
ニ任ス歳十六 此比関東ノ武士 等(ラ)。京都ヘ訴望(ソマウ)シテ。故(コ)持
氏カ末子永寿王。信濃国ニアリシヲ。鎌倉ヘ迎(ムカヘ)テ御所ト称
シ。元服シテ成氏ト号ス。上杉憲実カ子 竜若(タツワカ)ヲ管領ト称シ。
現代語訳
(前頁より続く)……(西京の住人が)敗訴したので、憤慨して北野神社に籠った。(畠山)徳本は時の侍所の長官・佐々木京極持清と相談し、兵士を遣わして(悪党らを)捕らえようとした。悪党らは火を放ち、社頭ならびに西京をことごとく焼き払ってしまった。
八月、南朝の残党らが南帝の皇族を擁立して、吉野の奥・紀伊国の辺りで蜂起した。前年(嘉吉三年)九月に奪い取られた神璽は、この地にあったという。
(文安)二年(1445年)十一月、二条の関白・持基が薨去した。享年五十八歳。後福照院と号した。近衛左府・房嗣と、一条前摂政・兼良とが関白の職(執柄)を争い、畠山徳本のもとへ双方から相談が持ち込まれた。しかしながら、勅許によって房嗣が関白となった。大納言・藤原時房が内大臣に任じられた。細川勝元が管領に任じられた。齢十六歳のことである。
この頃、関東の武士らが京都へ嘆願し、故・持氏の末子・永寿王が信濃国にいたのを、鎌倉へ迎えて御所と称し、元服させて成氏と号した。上杉憲実の子・竜若丸を管領と称し……(次頁へ続く)