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【右丁】
魚類を食することなく膳にむかひて美食菜好をすることかつて
なし只おのれが質強(しつこはき)飯をこのむゆゑ時により和(やは)らかきめし
できる時はおもはず小言(こゞと)をいひちらすこと我ながら冥理(みやう )にそむ
きし事なりと心づき後悔(こうくわい)することたび〳〵なり○天明三年
凶作にてきゝんたりしこと天災地変( さいちへん)といふべし其ゆゑは前年の寅の冬より
気候(きこう)いつもとはおほいに相違し冬甚あたゝかにて極月に菜種の花さ
き笋(たけのこ)を生し陽気春三月頃の如し時ならざるに雷雨たび〳〵ありし
こと前代 未聞(みもん)の天 災(さい)たりと人々おそれをのゝきけり扨其年もくれて
明れは卯の年となりぬ此春はなほあたゝかならんとおもひしに寒気は
なはだしく其上雨のふる日おほくして晴天はまれ也五月田植の時
に綿入をきて火にあたるほどなれは作物不熟たらんと察(さつ)し米穀の直
段諸国一同おほきに上れり此時信濃国浅間山焼出し人おほく死する上
【左丁】
にきゝんの大 変実(へんげ)にこれ古今 未曽有(みぞう)の地変(ちへん)とこそいふべけれ○浅間
焼の前より雨ふり出しながしけとなり晴天といふは一日もなくて毎
日〳〵しけぬれば作物成長することあたはず一切の野菜(やさい)の類もくされ
かじけ木のみ草(くさ)のみに及迄も熟せざりしかば秋の収納(しうなふ)はいかゞあらんと皆
々うれひて日をおくりしほどに二百十日になりしかば艮(うしとら)の風大におこりて
雨ふりやます六月の始より九月の末まで四ヶ月におよびけるこそうたて
けれこゝにいたりて諸作物のいろます〳〵かはりて米穀野菜のた
ぐひこと〴〵く不熟にして皆無(かいむ)同然(どうぜん)のこととはなりぬ爰(こゝ)におひて飢(うゑ)をし
のぐの手あてなければ蕨(わらび)の根 葛(くず)の根又は萆薢(ところ)の類をほりとりつゝ
扶食(ぶじき)とせり其求るありさまは山にのぼり谷に下り辛労たとへんに物
なく其 上(うへ)製(せい)しこなすこともたやすからず一日のかせぎにて一日の食に
あたりかねけるこそあはれなれかく千辛万苦して力を労すと