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翻刻
普門山(ふもんざん)蟹満寺(かにまでら)と号(ごう)す。或(あるひは)また紙幡寺(かはたでら)ともいふよし。元享釈書(けんかうしやくしよ)《割書:巻之|廿八》
に見えたり。息女(そくぢよ)の事(こと)よく此事(このこと)に似(に)たり。思ふにかれは陰徳陽報(いんとくやうぼう)の
理(ことはり)を示(しめ)しこれは名画(めいぐわ)の奇特(きどく)によりて孝女(かうぢよ)をすくふ。共(とも)に是(これ)仏(ほとけ)の慈(じ)
悲(ひ)衆生済度(しゆじやうさいど)の方便(ほうべん)也あれ壁(かべ)におしたる我(わが)拙筆(せつひつ)の絵(ゑ)を見玉へ。地(ち)
水火風(すいくわふう)の四ツの緒(を)の。きれてはかなき琵琶法師(びはほうし)も。忠孝(ちうかう)全(まつた)き竹杖(たけつゑ)
にて。煩悩(ぼんのう)の犬(いぬ)を打(うち)畜生道(ちくしやうだう)をまぬかれて。天堂(てんどう)に生(うま)るゝかたち。子(し)
息(そく)文弥(ぶんや)どのゝ姿絵(すがたゑ)とも見玉へかし。緑青(ろくしやう)の髪(かみ)すぢ胡粉(ごふん)の肌(はだへ)無常(むじやう)
の風(かぜ)に塗笠(ぬりがさ)も。骨(ほね)のみ残(のこ)る手弱女(たをやめ)が。肩(かた)にかたげし一枝(ひとえだ)は。紫雲(しうん)たなびく
藤(ふぢ)の花(はな)これ妹(いもと)藤波(ふぢなみ)が成仏(しやうぶつ)の姿(すがた)なり。積悪(せきあく)の角(つの)を折(をり)鬼(おに)なす心(こゝろ)
をひるがへして。墨(すみ)の衣(ころも)に鉦(かね)打(うつ)さまは。是(これ)乃(すなはち)長谷部雲六(はせべのうんろく)が邪念(じやねん)を滅(めつ)せ
し姿(すがた)ならずや。喜怒哀楽(きどあいらく)にいろどりて。もろ〳〵のかたちをなし。善(ぜん)と
なり悪(あく)となり。正(しやう)となり邪(じや)となり。恩(おん)となり仇(あた)となるも。三世(さんぜ)因果(いんぐわ)の報(むくい)
と思へば。互(たがい)の恨(うらみ)もつき弓(ゆみ)の。矢猛(やたけ)心(こゝろ)をやはらげて。唯(たゞ)彼等(かれら)が菩提(ぼだい)をとむらふ
にしかじ。某(それがし)さきほどの夢(ゆめ)に。藤浪(ふぢなみ)姿(すがた)をあらはし。敵(かたき)三八郎どの親子(おやこ)のいみじ
き忠孝(ちうかう)を感(かん)ずれば。今(いま)は恨(うらみ)も尽(つき)はてゝ。安養浄土(あんようじやうど)に生(うま)れ候といひ
て。身(み)より光明(くわうみやう)をはなちて去(さる)と見たれば。成仏得脱(じやうぶつとくだつ)うたがひなし。と
いふ折(おり)しも。桂(かつら)之助 小枝(さえだ)於竜(おりう)と共(とも)に。ねふりをさまして一間(ひとま)を立出(たちいで)
我(われ〳〵)三人もおなじ夢(ゆめ)を見たりといひて一同(いちどう)によろこびけり。時(とき)に楓(かへで)
父(ちゝ)の前(まへ)に手(て)をつき。妾(わらは)こと姿(すがた)をかへて藤浪(ふぢなみ)どの文弥(ぶんや)等(ら)の。菩提(ぼだい)を
とひたく候へば。剃髪(ていはつ)をゆるして尼(あま)となし玉はれかしといふ。なむ右衛門いはく。
いな〳〵汝(なんぢ)剃髪(ていはつ)無用(むよう)なり。我(われ)今(いま)より剃髪(ていはつ)して。佐渡島坊(さどしまほう)と名告(なのり)。
我(わが)異名(いみやう)を汝(なんぢ)にゆづり。若殿(わかとの)を世(よ)に出(いだ)しまゐらせし後(のち)は。専修(せんじゅ)の念(ねん)