翻刻!江戸の医療と養生

コレクション: 模範解答付きコレクション1

昔話稲妻表紙 - 翻刻

昔話稲妻表紙 - ページ 148

ページ: 148

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申しきかせたりとも。此方(このほう)におもふ旨(むね)も候へば。とてもうけがひ申すまじ いたづらに足(あし)をついやし玉ふな。とく〳〵おん帰(かへ)り候へかし。かさねておん出(いで)無益(むやく)也 といひすて。戸(と)を撲地(はたと)たてゝ裏(うち)に入(い)る。嘉門(かもん)これを聞(きゝ)。何者(なにもの)なれ ばかくあらけなく母人(はゝびと)はあしらひ玉ふやといぶかり。再(ふたゝび)又 窓(まと)のひまより窺(うかゞひ) 見るに。かの武士(ぶし)雪中(せつちう)に坐(ざ)をしめ。情(なさけ)なきぞ御老母(ごろうぼ)。嘉門(かもん)どの家(いへ)におはさ ずは。此(この)処(ところ)にて帰宅(きたく)を待(まち)申ん。よろしくとりなしたのみはべるといひて。帰(かへ)るけはひ は見えざりけり。折(おり)しも雪(ゆき)はつよくふり。紛々(ふん〳〵)揚々(やう〳〵)として。恰(あたか)も柳絮(りうぢよ)の舞(まふ)が ごとく。鵞毛(がもう)の飛(とぶ)に似(に)たり。さらぬだに寒気(かんき)きびしき谷蔭(たにかげ)なるに。朔風(さくふう) はげしく吹(ふき)おろせば。見る〳〵かの侍(さふらひ)の蓑(みの)の毛(け)に垂氷(つらゝ)さがりて。鈴(すゞ)のやうにから〳〵 となり。身(み)はなかば雪中(せつちう)にうづもれて。吹雪(ふゞき)は面(おもて)につぶてを打(うつ)がごとくなるを。 笠(かさ)にふせぎ真袖(まそで)にはらひ。歯(は)をくひしめて寒気(かんき)をたへしのぶ為体(ていたらく)。誠(まこと) に余儀(よぎ)なく見へて。今(いま)にも凍死(こゞへしぬ)べき形勢(ありさま)なり。嘉門(かもん)此(この)体(てい)を見て益(ます〳〵)いぶかり。 さても堪忍(かんにん)づよき人(ひと)かな。覆面(ふくめん)にて面(おもて)はしかと見へざれども。いやしからざる 侍(さふらひ)の。かゝる厳寒(げんかん)をいとはぬ体(てい)。いかさま何(なに)ぞ思ひつめたる事(こと)あらんと。舌(した) を巻(まき)てぞ居(ゐ)たりける。湯(とう)に伊尹(いいん)を得(え)。周(しう)に太公望(たいこうぼう)をもちひたるも。大(たい) 将(しやう)たる人(ひと)。賢(けん)を尊(たつと)び敬(うやまふ)志(こゝろざし)の厚(あつき)がゆゑなり。総(すべ)て国家(こくか)を治(おさむ)るの要(よう)。賢臣(けんしん) にあり。賢臣(けんしん)を得(う)るに礼譲(れいじやう)をあつくせざれば出(いで)て仕(つか)へず。禄(ろく)を施(ほどこ)し金(きん) 帛(はく)を以(もつ)て招(まね)くとも。賢士(けんし)を尊(たつと)ぶ志(こゝろざし)なき人には仕(つか)ふる事(こと)なしとかや。扨(さて)その 時(とき)嘉門(かもん)母(はゝ)のそばちかくより。かの雪中(せつちう)の旅人(りよじん)は何者(なにもの)に候やらん。見るも気(き) の毒(どく)の形勢(ありさま)なり。おん心(こゝろ)にかなはさる者(もの)ならば。理(ことはり)をのべておん帰(かへ)しなされ ずや。某(それがし)出(いで)ておひかへし申さんやといへば。いな〳〵そちはかまふべからずかの侍(さふらひ) そちが留主(るす)に両度(りやうど)まで来(きた)りて。さま〴〵のたのみ事(こと)。我(わが)心(こゝろ)にかなはねば。