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翻刻
嘉門(かもん)が編(あみ)たる。武道徒然草(ぶだうつれ〴〵ぐさ)といふ書(しよ)を。御懇望(ごこんばう)ありといへども。かれ
ふかく秘(ひ)して他見(たけん)をゆるさず。若(もし)厳命(げんめい)を以(もつ)て召(めし)上らるゝ時は。かの書(しよ)
を焼(やき)て。身(み)をかくさんこと必定(ひつぢやう)なりとて。これまでそのおん沙汰(さた)もあら
ざりき。某(それがし)偶(ふと)此事を思ひいだし。なにとぞ嘉門(かもん)に誠心(せいしん)を見せ。かの
書(しよ)を得(え)ておん館(やかた)にたてまつり。それを微㓛(びこう)となして。父(ちゝ)の勘気(かんき)赦(しや)
免(めん)の御内意(ごないい)を願(ねがひ)奉らん為(ため)なりとかたれば。勝基(かつもと)尻目(しりめ)にかけ。その
身(み)放佚(ほういつ)無慙(むざん)にして。おん館(やかた)の御不興(ごふきやう)をかうふり。父(ちゝ)の勘気(かんき)をうけ
たる者(もの)に。かはすべき詞(ことば)なしとのたまふにぞ。桂(かつら)之助げに理(ことはり)とその身(み)の
科(とが)を後悔(こうくわひ)し。此(この)うへは嘉門(かもん)親子(おやこ)に。勝基(かつもと)どのと打(うち)あけいひて味方(みかた)に
つけ。せめての功(こう)になすべしと。心のうちに思ひつゝ。打(うち)しほれて内(うち)に入。おづ〳〵
老母(ろうぼ)の前(まへ)にひざまづく。老母(ろうぼ)見るより。かの馬鹿者(ばかもの)はいまだかへらずや。理(ことはり)
いふてなどかへさぬぞ。汝(なんぢ)は案外(あんぐわい)なる不調法(ぶちやうほふ)ものかな。さばかりいひがひなくて。此(この)
家(いへ)に足(あし)をとゞめ。嘉門(かもん)を師(し)とたのみ。兵法(へいほふ)の道(みち)すぢをわきまへんこと。いかで
かかなふべきぞ。およそ奴僕(ぬぼく)を召仕(めしつか)ふには。そのはじめによく戒(いましめ)ざれば。不奉(ぶほう)
公(こう)するものぞといひて。一ツの服紗包(ふくさつゝみ)をとりて。さんん〴〵に打擲(ちやうちやく)すといへども。桂(かつら)
之助 露(つゆ)ばかりも怒(いか)るいろなく。某(それがし)が宿願(しゆくくわん)成就(じやうじゆ)するまでは。いかなる憂目(うきめ)に
あふとも。此(この)家(や)をいづる心(こゝろ)にあらずお気(き)にかなはぬ事(こと)ありて。たとへ打殺(うちころ)
さるゝともせんすべなし。此うへのお情(なさけ)には。かの雪中(せつちう)の侍(さふらひ)に。嘉門(かもん)どのを
おん引合(ひきあは)せくだされ。事(こと)の子細(しさい)をおん聞(きゝ)玉はれかしと。簀子(すのこ)のうへに額(ひたひ)を
つけ。涙(なみだ)ながらにねがふ形勢(ありさま)。誠(まこと)に哀(あはれ)の姿(すがた)にて。思ひ入(いり)てぞ見へたりける。
かゝる折(おり)しも納戸(なんど)のへだてをさとひらきて立出(たちいづ)る骨柄(こつがら)。白糸縅(しらいとおどし)に銀(しろかね)の
鏢緘(べうとぢ)したる腹巻(はらまき)の上(うへ)に。萌黄錦(もへぎにしき)の陳羽織(ぢんばおり)を着(ちやく)し。青鈍(せいどん)の大口(おほくち)はき。