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玉ふとも。原(もと)いひなづけの妻(つま)なれば。科(とが)となるべき事(こと)もなし。かきのこし
度(たき)ことおほかれども。仕損(しそん)ぜまじと胸(むね)とゞろきて筆(ふで)もたゝず。涙(なみだ)に墨(すみ)
も散(ちり)はべれば。くさ〴〵申 残(のこ)し候と。こまやかに記(しる)しつけて。おくのかたに
壁(かべ)に生(おゝ)るいつまで草(ぐさ)のいつまでもつきぬ恨(うらみ)を思ひきり(斬)てよ
といふ辞世(じせい)の歌(うた)をかきつけぬ。山(さん)三郎 読(よみ)おはりて十分(じうぶん)におどろき
しばし思案(しあん)にくれたりけるが。良(やゝ)ありて葛城(かつらき)が首(くび)をとりあげてつら〳〵
見れば。鉄漿(はぐろ)をおとして白歯(しらは)となり。みどりの髪(かみ)をきりたちて。笑(ゑめ)る
がごとき顔(かんばせ)なり。山(さん)三郎 落涙(らくるい)して思へらく。昔(むかし)袈裟御前(けさこぜん)髻(もとゞり)を
きり。夫(をつと)の身(み)にかはりて遠藤武者(ゑんどうむしや)盛遠(もりとほ)に殺(ころ)されしは。母(はゝ)と夫(をつと)の命(いのち)
をすくはん為(ため)なり。此 葛城(かつらき)は兄(あに)の命(いのち)をたすけん為(ため)に身代(みがはり)となりて
我(わが)手(て)にかゝりたる心庭(しんてい)。袈裟御前(けさごぜん)にもをさ〳〵おとるべからず。その志(こゝろざし)
は不便(ふびん)なりといへども。晋(しん)の予譲(よじやう)が衣(ころも)を刺(さし)たるためしとは事(こと)かはれば。かれ
がねがひのごとく。伴(ばん)左衛門をたすけおきては。我(わが)孝(かう)の道(みち)たちがたし。
さりながら伴(ばん)左衛門 昨夜(さくや)の事(こと)をきゝ。遠国(ゑんごく)に逃走(にげはしら)んは必定(ひつぢやう)也。畢竟(ひつきやう)
我(われ)心(こゝろ)せきたる侭(まゝ)に。名告(なのり)かけて返答(へんとう)をまたず。打(うち)あやまりしは一生(いつしやう)の疎(そ)
忽(こつ)なり。父(ちゝ)の仇(あた)をむくふべき者(もの)の所為(しよゐ)にあらず。世(よ)の人(ひと)にわらはれん
ことのくちをしさよ。父(ちゝ)の霊魂(れいこん)夢中(むちう)に告(つげ)玉ひし時(とき)。いひなづけの女は
かたきの妹(いもと)といふことを告(つげ)くださるべき理(ことはり)なるに。左(さ)もなかりしはよく〳〵まぬ
かれがたき悪縁(あくえん)ならん。先年(せんねん)生駒山(いこまやま)の麓(ふもと)にて奥方(おくがた)をうばゝれし時(とき)。死(しな)ねばなら
ぬ一命(いちめい)を。これまでいきながらへしも。御主人(ごしゆじん)がたのおんゆくへをたづね。父(ちゝ)の
仇(あた)をむくはん為(ため)ばかりなるに。今(いま)においておく方(がた)の御存亡(ごぞんばう)もさだかなら
ず。父(ちゝ)の仇(あた)も打得(うちえ)ざる事(こと)。不忠(ふちう)とやいはん不孝(ふかう)とやいはん。我(わが)身(み)ながら