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しのばせおき。娘(むすめ)楓(かへで)とゝもに。朝夕(あさゆふ)心(こゝろ)をもちひてかしづき。権(しばらく)月日をおくり
けるが。一日(あるひ)若君(わかきみ)にしばし気(き)ばらしさせ申んと。楓(かへで)に申しつけていざなは
すれば。煩(いたは)しや月若(つきわか)は。世(よ)にうつくしき生(うま)れなるに。妖鼠(ようそ)の為(ため)に髪(かみ)の毛(け)を
くひ尽(つく)され。剃髪(ていはつ)の姿(すかた)となり。頭(かしら)に似合(にあは)ぬ振袖(ふりそで)の。綾(あや)の小袖(こそで)の模(も)
様(やう)さへ。ゆたのたゆたの捨小舟(すてをぶね)薄縹(うすはなだ)の奴袴(すばかま)も。涙(なみだ)の痕(あと)のしみとなり。
身(み)すぼらしげに出(いで)玉ふ。なむ右衛門 楓(かへで)に命(めい)じて。柴(しば)の折戸(おりど)をかためさせ。
若君(わかきみ)を上坐(かみざ)にすゑて申しけるは。狭(せま)き一間(ひとま)のおん隠家(かくれが)。さぞおん気(き)づまり
とは存(そんじ)ながら。人目(ひとめ)をはゞかるおん身(み)なればせんすべなし。御先祖(ごせんぞ)をたづ
ぬれば。人王(にんわう)五十九代の帝(みかど)。宇多天皇(うだてんわう)の御末(おんすゑ)にて。佐々木(さゝき)成頼公(しけよりこう)の末(まつ)
孫(こ)と生(うま)れさせ玉ひ。あまたの人にかしづかれて。金殿玉楼(きんでんぎよくろう)のうちに生立
玉ひ。錦(にしき)の菌(しとね)玉(たま)の床(ゆか)。なに一点(いつてん)の不足(ふそく)なく。あらき風(かぜ)にすらあたり玉はぬ
おん身(み)なるに。奸臣(かんしん)佞者(ねいしや)の為(ため)に世(よ)をせばめられ。かゝる貧家(ひんか)にしのばせ
玉ひ。粟(あは)の飯(いひ)橡(とち)の粥(かゆ)。わづかにおん命(いのち)をつなぐのみ。蕨(わらび)のおどろ紙(かみ)ぶすま。
夜(よる)の物(もの)さへ薄着(うすぎ)にて。壁(かべ)もる月(つき)の灯火(ともしび)に。くらきおん身(み)となり玉ふ。いた
はしさよといひければ。若君(わかぎみ)のたまひけるは。汝(なんぢ)が忠志(ちうし)過分(くわぶん)なり。我身(わがみ)は
いかになるともいとはざれども。唯(たゞ)気(き)づかはしきは父母(ちゝはゝ)のおん身(み)なり。父上(ちゝうへ)は御勘(ごかん)
当(だう)の身(み)となり玉ひて后(のち)。いづくいかなる所(ところ)におはすやらん。母上(はゝうへ)はなごや山(さん)三郎に
扶(たすけ)られて落(おち)玉ひしが。これも御在所(ございしよ)知(し)れざるよし。追人(おひて)に捕(とらは)れ玉ひしも
知(し)るべからず。あな恋(こひ)しの父上(ちゝうへ)や。なつかしの母人(はゝびと)やとて。しのび涙(なみだ)にむせ
び玉へば。なむ右衛門 楓(かへで)も。おん心根(こゝろね)を椎量(すいりやう)して。ともに袂(たもと)をしぼりけり。
かゝる折(おり)しも外(と)の方(かた)に人の足音(あしおと)ひゞきければ。なむ右衛門 楓(かへで)に目ぐはし
して。若君(わかきみ)を一間(ひとま)にかくし。さあらぬ体(てい)にて居(ゐ)たりけり。人(ひと)の親(おや)のこゝろは闇(やみ)に