← 前のページ
ページ 79 / 104
次のページ →
翻刻
【右丁】
海上道法凡三百五十里斗なり
南漂記巻之四終
【左丁】
南漂記巻之五
廣東州
清朝(せいてう)十五 省(せい)の内 至(いたり)て大国(たいこく)にて諸侯(だいしやう)の城下也《割書:但し方三里|の城下なり》
王城は北京(ほつきん)順天府(しゆんてんふ)にあり時(とき)の年号(ねんごう)乾隆(けんりう)六十年に當(あた)
るなり《割書:此国北極二十一度の所にて福建(ふくけん)の正面(まふく)に當り海つゞき十二|門といふて十二所の口あり阿媽港より廣東(かんとう)州へ海つゞき》
《割書:故 福州(ふくじう)へは|舟 不着(つかす)》此地 清朝(せいてう)の内にて日本へ通路(つうろ)あり通辞(つうじ)能(よく)詞(ことば)を聞(きゝ)
わくるにより何事も通辞(つうじ)をもつてことを便(べん)ぜり日月 行(きやう)
道(だう)は安南国より不同(ふどう)なり潤月(じゆんげつ)又は月の大小日本とは違(ちがひ)
あり氣候(きこう)はさしてかわりなし国人 韃靼風(だつたんふう)にて頭(かしら)を剃(そつ)