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【右丁】
舩路
乾隆(けんりう)六十年八月十三日 廣東(かんとう)の湊(みなと)より河舟(かはふね)に乗是
より清朝(せいてう)左甫(さふ)まて不残(のこらず)舟路(ふなぢ)也《割書:但し海へつゞきし大川(たいか)故|に大舩多往来する也》
舩は南京(なんきん)舩の通(とふり)多(おゝ)くの柱(はしら)に帆(ほ)を上(あ)け送(をくり)官人(やくにん)
廣東 護送(ごそう)官(くわん)姓(せい)注(ちう)名 樹本(じゆほん)
同勢(とうぜい)数多(あまた)水主(かこ)にいた至(いた)るまで厳重(げんぢう)にして漂流(ひやうりう)のもの
都合(つごう)九人《割書:ただし安南国より廣東まで人数十人なれど|出舟二日まへ清之丞相果九人となりしなり》此日
晴天(せいてん)にて殊(こと)に追風(をいて)よくめい〳〵も日本の地へ近寄事
悦(よろこひ)限(かぎ)り無(なき)内(うち)にも出舟(しゆつせん)前(まへ)清之丞 相果(あいはて)国元(くにもと)への遺言(ゆいけん)
【左丁】
など思(おも)ひ出(だ)し浮世(うきよ)のあじきなきこと蜉蝣(かげろふ)のごとく
今日(けふ)ありといへど明日(あす)はしれざる凡夫(ぼんぶ)の身(み)過行(すぎゆき)し者(もの)
は是悲(ぜひ)もなく残(のこ)りしものども神佛(かみほとけ)の恵(めぐ)みにて早(はや)く
日本の地へ引(ひき)よせたまへ再(ふたゝ)び古郷(こきやう)へ立帰(たちかへ)り父母(ふほ)妻子(さいし)に
至(いた)るまで長(なが)の月日(つきひ)の浮(うき)ことを咄(はな)し相果(あいはて)し者(もの)の仏事(ぶつじ)
も吊(とむら)ひ度(たく)日毎(ひごと)に打寄(うちより)ては此事のみ申けり扠舟中 朝(てう)
暮(ぼ)の食物(しよくもつ)朝(あさ)は豆腐(とうふ)または鯉(こひ)の油煑(あふらに)を菜(さい)となし晝(ひる)
と夕飯(ゆふめし)には鶏(にはとり)鶩(あひる)の類(るい)をそへて食用(しょくよう)とし彼是(かれこれ)晝夜(ちうや)
風(かざ)まんよく出帆(しゆつはん)二日目にコンサイと云(いふ)城下(しやうか)の湊(みなと)を通(□□)り