翻刻
ありてあつしくなりゆく時(とき)はのりものにかきのせて深山(みやま)に捨(すつ)るなら
はしなりとぞ昔(むかし)其国(そのくに)に一人(ひとり)の婦女(をんな)ありて重(おも)き病(やま)ひをわづらひ
しを例(れい)のごとく山(やま)の奥(おく)にかきすてゝ人々(ひと〳〵)立帰(たちかへ)りぬ其(その)婦女(をんな)夢(ゆめ)うつ
のごとくありしうちえならぬ香(か)のしけるまゝに忽(たちま)ちめをひらきて
あたりを見(み)つるにいまだ見(み)なれぬ草(くさ)生(お)ひしげれりはひよりて
これを嗅(かぐ)にすなはち身(み)のうち清(きよ)くすゞやかに覚(おぼ)え今(いま)まで
病(やまひ)にをかされ居(ゐ)たりしに夢(ゆめ)の覚(さ)めたるごとく一身(いつしん)まめやかに
こゝろよくなりにければ己(おのれ)なやめる中(なか)にこゝに捨(すて)られし事(こと)をはじ
めてさとり扨(さて)そこをいそぎ下(くだ)りて我家(わがいへ)に帰(かへ)りぬ家(いへ)なる人々
しか〳〵の物語(ものかたり)をきゝてそはいとあやしき薬(くすり)なりとてやがて
其草(そのくさ)を得て世(よ)に伝(つた)へしが即(すなはち)これなりといへりこれ仮(かり)に作(つく)れる
説(せつ)にて取(とる)にたらず又 同(おな)じき別説(べつせつ)に南蛮国(なんばんこく)に一人(ひとり)の婦女(をなご)あり
名(な)を淡婆姑(たんばこ)といふ数年(すねん)痰(たん)の疾(やまひ)を患(うれ)へしを此草(このくさ)を服(ふく)して
全(まつた)く瘳(いゆ)る事(こと)を得(え)たりそれより此草(このくさ)を淡婆姑(たんばこ)と呼(よべ)りといへり
思(おも)ふにこれたばこの字音(じをん)を填(うづめ)し字面(もじ)女(をんな)に従(したがひ)し婆姑(ばこ)といへる二字(にじ)
あるによりて女(をんな)の名(な)なりと附会(ふくわい)し設(まう)けたる妄説(もうせつ)なり
和蘭(おらんだ)の書(しよ)によりて万国(ばんこく)の事(こと)をかんがふるに此(この)もの北(きた)のあめりか
洲(しう)といふ世界(せかい)に「タバゴ」といふ小島(こしま)あり其地(そのち)に生出(おひいで)し草(くさ)なりしを
弐百十余年(にひやくじふよねん)の昔(むかし)ゑうろつぱといふ世界(せかい)なる某(それ)の州(くに)に「ニコツト」と
いへる人(ひと)其島(そのしま)の産(さん)をとり出し携(たづさへ)て其国(そのくに)に帰(かへ)り移(うつ)しうゑしに始(はじま)りて