翻刻
【右丁】
一 十一月ウワフ国出帆し戌亥の方へ走り海上七十日程経て琉球国近く見ゆる
所へ来り折節西北の風にて雨降けれとも昼九ツ時頃艀を卸し本船に離れて
地方へ漕寄せ東南の山はなの蔭に碇をおろし船かゝりす嘉永四年亥正月二日
なりと後に聞て知れり
ウワフ国ゟ琉球国迄日本道八百里程也と云
一 正月三日朝陸をみれは夥敷人数集り来る体也碇を揚船を漕寄せ先伝蔵陸へ
上り行に人々逃去り其内壱人立戻り伝蔵に応答すれとも不通伝蔵驚き船へ
帰り言語通せぬ所へ来れり如何すへきと力を落す陸には人多勢其所彼
所へ群集し居万次郎上陸して多勢集り居る所へ行は伝蔵も近付来りそこ
にて物語するに大分通しかゝり夫より湊を教へもらひ伝馬を入引連る《割書:此所摩久間切|云所也とそ》
万次郎五右衛門陸へ水を取に行茶をわかし餅をたへる此時薩摩の役人に付添居る
躰の人来り物語りするに通して此人ゟ片時も番所へ行かねはならすと云万次郎
壱人行くにゆて芋の煮物を致し喰はす久ふり箸を取て芋を喰ふ其所にて
いふには是より三里行て那覇と云所あり其所に薩摩の役人来りて居るの
処へ行かねはならす諸道具も持参すへしといへは伝馬はいかゝ可致ととへは夫は行に不及
迚諸道具はかの国の夫に持せて昼八ツ時頃出立て那覇へ行雨上りにて道至て
【左丁】
悪しく一同労れてはおり道不近然るに夜の九ツ時頃跡へ戻るへしと那覇より
飛脚来一同に草臥て居る故もはや歩行不調此所にて休息せんと莚を敷横に
成り居るに飯汁を持来り迚起すにそ起てみれは提灯二十程に琉球の役人
体の人二三十人来て支度済次第跡へ戻れと云に付大に労れたれは明朝に成し下
さるへしと云に又駕三挺来りて三人を乗せ走りて一里計戻りヲヤカ村
と云所へ着未夜の内に御用有之三人共被呼壱丁程行と大成百姓家に
薩摩の御侍三人鎗を為持て来り居る色々と御詮義ありて所持の荷物を改
められ弥土佐の国の者と知れけれは暇出て旅宿へ帰り臥す
一 翌四日御用とて呼出され荷物の品々夫々帳面に記され又宿へ帰る此宿は百姓の
家を明けて三人を置薩摩の御足軽二人琉球役人二人宿を構へ番する様子なり
食事二度ツヽの賄は琉球役人の宿より仕成来る也三人の宿には組頭体の者一人百
姓体の者壱人子供壱人都合参人詰に居る此所に日数百八十七日居る也時に玉より
命也とて駕篭来り三人乗て那覇へ行は薩摩の国へ被渡遣趣被仰付薩摩
の船へ伝馬幷荷物諸道具等不残積入る
琉球国にて被遣候品
一 焼酎壱斗 一 帯壱筋ツヽ 一 単物壱枚ツヽ