翻刻
其後大(大)元の時に至て使して招諭せら
れしかども後にしたかはず
是元の世祖日本を招諭せし(イられし)時の事
なり(イるへし)本朝にては亀山院御在位の
時に当れり
其国初の姓は歓斯氏名渇刺兜国人
是を呼て可老年というふ其妻を多抜茶
といふ
一説に其国/王(イの)姓名の事等(イ三字十也)慥ならぬ説
なりといふ
数世を経て後に国分れて三つとなる中山
山南山北是なり大明の大祖洪武五
年日本に遣し行(つかひ)人楊/戴(イ 并)【挿入記号】使の事
終て還る時に琉球を廻て中国に内
附すべき由を(イ以て)【挿入記号】招諭しけれは此/年(イ秋)【挿入記号】七月
其王各使して朝貢し封爵の事を
請申す
我国南朝後亀山院文中元年北朝