← 前のページ
ページ 102 / 451
次のページ →
翻刻
形骸(ぎやうたい)【注】龍顔(りうがん)しな〳〵の異(い)あるに。又(また)其意(そのこゝろ)寛厚(くわんかう)の仁者(じんしや)たるはこれぞ定(さだ)めて乱(らん)
民(みん)を助(たす)け世(よ)を済(すく)ふべき人(ひと)ならんと意(こゝろ)をよせぬ者(もの)はなし。王建(わうけん)初(はしめ)は弓裔(きうえい)が
幕下(ばくか)にありしが。弓裔(きうえい)これに鐵原郡(てつえんぐん)の太守(たいしゆ)となす。其後(そのゝち)威望(いまう)大(おほい)に加(くは)り
人心(じんしん)の帰(き)し順(したが)ふところ。爰(こゝ)にあれば部下(ぶか)の諸将(しよしやう)王建(わうけん)をすゝめ王号(わうがう)を称(しよう)じ
て。国(くに)を高麗(かうらい)と号(がう)しける。この時(とき)中国(ちうごく)は後梁(ごりやう)の太宗(たいそう)貞明(ていめい)の年(とし)。我(わ)が本(ほん)
朝(てう)醍醐天皇(だいごてんわう)延喜年中(えんきねんちう)に当(あた)つて新羅国(しんらこく)景明王(けいめいわう)が二 年(ねん)に王建(わうけん)国(くに)を建(たつ)
るの歳(とし)にして。其後(そのゝち)新羅(しんら)に五十五 代(たい)敬順王(けいしゆんわう)が在位(さいゐ)八 年(ねん)にして。終(つひ)に重箸(ちうき)を
高麗(かうらい)の王建(わうけん)に譲(ゆつ)つて降参(かうさん)をなしたりける。こゝに高麗王(かうらいわう)在位(ざいゐ)十七 年(ねん)にし
て。中国(ちうごく)後唐(こうたう)の潞王(ろわう)が清泰元年(せいたいくわんねん)。我(わ)が本朝(ほんてう)の朱雀院(しゆじやくゐん)承平四年(しようへいよねん)と聞(きこ)え
けり。そも〳〵新羅(しんら)の始祖(しそ)赫居世(せききよせい)漢(かん)の宣帝(せんてい)五鳳元年甲子(ごほうくわんねんきのへね)を以(もつ)て。辰韓(しんかん)
【注 骰は音・義ともに合わず、音からは體が考えられるも、字面からは骸と思われ、「形骸」と書き「ぎやうたい」と仮名を振ったと捉え「骸」にする。】