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使(つかひ)を通(つう)する事(こと)なかりしなり。只(たゞ)日本(につほん)の信使(しんし)來(きた)れは礼(れい)によつて応接(おうせつ)はかりにして
事畢(ことおは)れりと聞(きこ)えたりそも〳〵我朝(わかてう)の記(き)によつて此事(このこと)を考(かんが)ふるに。京都将軍(きゃうとしやうぐん)源(みなもと)
義政公(よしまさこう)の長禄(ちやうろく)二 年(ねん)まては朝鮮(てうせん)の來朝使(らいてうし)の時々(とき〳〵)來(きた)れる事(こと)の見(み)へたれども
それより以來(このかた)は絶(たへ)て此事(このこと)所見(しよけん)なし。されば其後(そのゝち)打続(うちつゝき)て本朝(ほんてう)大(おほい)に戦国(せんこく)となり
左(さ)ながら打乱(うちみだ)れたる碁(ご)の如(ごと)くなる故(ゆゑ)に此時(このとき)の朝鮮(てうせん)の使(つかひ)も風水(ふうすい)の難儀(なんき)に言(こと)
を寄(よ)せて身(み)の危(あやう)きをのかれ中途(ちうと)より帰(かへ)れると知(し)られたりそれより後(のち)足利家(あしかゞけ)
滅亡(めつはう)し今(いま)や秀吉公(ひてよしこう)天下(てんか)を渾一(こんいち)に成(なし)給ふよりすてに十 余年(よねん)に至(いた)れるなり
此間(このあひた)日本(につほん)の商売人(しやうばいにん)。幾人(いくたり)か朝鮮(てうせん)に往来(わうらい)する者(もの)ありと雖(いへ)ども我国(わがくに)の令(れい)
法(ほう)厳密(けんみつ)なる。その刑罰(けいばつ)をつゝしんで。こゝに本朝(ほんてう)の時世(ときよ)も遷(うつ)り代(かわ)つて当世(とうせい)す
てに秀吉公(ひてよしこう)天下(てんか)の権柄(けんへい)を取(とり)玉(たま)ふと云(い)ふことをも嘗(かつ)て以(もつ)て泄(もら)さねばこれによつ