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コレクション: コレクション1

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - ページ 130

ページ: 130

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等(ら)と同じく四月二十九日には釜山浦(ふさんかい)に船(ふね)を発(はつ)し。対馬(つしま)の国(くに)に至(いた)り着(つき)ぬ此所(このところ)に留(とま) ること一日また船(ふね)を発(はつ)しすへて水行(すいこう)四十 余里(より)にして壱岐(いき)の島に到着(たうちやく)し。それ より長門国(なかとのくに)那古耶(なこや)などを歴(へ)過(す)ぎ。同七月二十二日に至(いた)りて京都(きやうと)洛陽(らくやう)の地(ち)に 到着(たうちやく)す。それより五条堀川(ごでうほりかは)本國寺(ほんこくじ)中(ちう)を旅館(りよくわん)と定(さだ)め。暫(しばら)く逗留(たうりう)の儀(き)をな さしむ。此時(このとき)に当(あた)つて秀吉公(ひでよしこう)は相州(さうしう)小田原(をだはら)。北条氏政(ほうてううちまさ)追討(つひとう)の為(ため)として 彼国(かのくに)に発向(はつかう)なし給ふの。御 ̄ン留守(るす)たれば御帰京(ごききやう)を待(まつ)ほどすでに数月(すげつ)を 経(へ)たりけり程(ほど)なく凱歌(がいか)し給ふと雖(いへ)ども。又(また)託(たぐ)するに城官(じやうくわん)修治(しゆぢ)の事(こと)ありと て。已(すで)に五月(ごげつ)を経(へ)て後(のち)朝鮮使(てうせんし)御対面(ごたいめん)有(あ)るべきの由(よし)を仰出(おふせいだ)されたり。三使(さんし)の 者(もの)は聚楽亭(じゆらくてい)に参上(さんじやう)し。朝鮮国王(てうせんこくわう)の書(しよ)を奉(ほう)ず其帖(そのてう)に云(いはく)。    朝鮮国王(てうせんこくわう)李㫟(りえん) 奉(たてまつる)_二書(しよを)