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コレクション: コレクション1

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - ページ 165

ページ: 165

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同(おなじく)天正(てんしやう)十九 年(ねん)は豊臣秀吉公(とよとみひでよしこう)。朝鮮(てうせん)に渡海(とかい)すべき人数(にんず)又(また)は名護屋(なこや)に屯(とゞ)む べきの。軍兵(ぐんひやう)を分(わか)ち定(さだ)め諸軍(しよくん)の手分(てわけ)をなし給ふ。時(とき)に秀吉公(ひでよしこう)仰出(おふせいだ)さるゝは 此度(このたび)朝鮮(てうせん)発向(はつかう)の先手(さきて)のことは。兼(かね)て主計頭(かずへのかみ)が望(のぞ)む所(ところ)といへども高麗(かうらい)。 渡海(とかい)の船路(ふなぢ)その筯(すぢ)不案内(ふあんない)にしては最(もつと)も衆(しゆう)を誤(あやま)るの事(こと)に至(いた)らんか。これ によつて一の先手(さきて)は小西摂津守行長(こにしつのかみゆきなが)に相定(あひさだむ)る所(ところ)なりと。上意(じやうい)あれば加藤(かとう) 清正(きよまさ)も其意(そのい)畏(かしこま)りて随(したが)ひけるゆゑ。二の先手(さきて)とは定(さだめ)りけり一の先手(さきて)小西摂津(こにしつの) 守行長(かみゆきなが)。其兵(そのへい)七千 宗対馬守義智(そうつしまのかみよしあきら)其勢(そのせい)五千。松浦式部卿法印鎮信(まつらしきぶきゃうはういんちんしん) 三千。有馬修理太夫(ありましゆりだいふ)二千人。大村新八郎(おほむらしんはちらう)一千。宇久大和守(うくやまとのかみ)七百人。以上(いじやう)一万八 千七百人を右(みぎ)の先手(さきて)と相定(あひさだ)む。加藤主計頭清正(かとうかずへのかみきよまさ)一 万(まん)人。鍋島加賀守直(なべしまかゞのかみなほ) 茂(しげ)其兵(そのへい)一 万(まん)二千人。相良宮内大輔(さがらくないたいふ)八百人 此手(このて)合(あは)せて。二 万(まん)二千八百人を一手(いつて)