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コレクション: コレクション1

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - ページ 207

ページ: 207

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にてこもり兵粮(ひやうらう)なども十分(じふぶん)に入おき王城(わうじやう)にても此城(このしろ)を頼(たのみ)と仕(つかまつる)由(よし)道(みち) の程(ほど)は九日 路(ぢ)御座(ござ)候と云(いひ)ける故(ゆゑ)。さらば此所(このところ)を陣所(ぢんしよ)として後陣(ごぢん)の 続(つゞ)くをまつて押行(おしゆく)べしとて。東萊(とくねき)に陣(ぢん)を取(とつ)て後陣(ごぢん)のつゞくを待(まつ) たりける。    浮田秀家(うきだひでいえ)抜(ぬけ)がけして小西(こにし)を救(すく)はんとする事(こと)    《割書:附(つけたり)|》加藤清正(かとうきよまさ)熊川(こもかい)に着事(つくこと) 小西行長(こにしゆきなが)は惣軍(そうぐん)に先達(さきだつ)て。釜山浦(ふさんかい)東萊(とくねぎ)の両城(りやうしやう)を攻落(せめおと)し。其勢(そのいきほ)ひ 破竹(はちく)の如(ごと)く猛威(まうい)を振(ふる)ふ事(こと)。あたかも項羽(こうう)が咸陽(かんやう)に入(いる)に似(に)たり。扨(さて) また備前宰相(びぜんさいしやう)秀家(ひでいへ)は第八番(だいはちばん)の備(そなひ)に有(あり)けるが小西(こにし)が先陣(せんちん)に居(ゐ) たりしが」抜(ぬけ)がけせしを心元(こゝろもと)なくおもはれ。家老(からう)戸川(とがは)肥後守(ひごのかみ)長船(おさふね)紀伊守(きいのかみ)