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々(〳〵)を嘲(あざけ)らるゝとこそ聞(きこ)へたれ。誠(まこと)に左様(さやう)におもはれなばいで牛(うし)に乗(のへ)たるか遅(おそ)
きや。馬(うま)に乗(のり)たるが早(はや)きや乗(のり)くらべ致(いた)すべしと。既(すで)に闘諍(たうじやう)におよびなんとな
しけるにより。家(いゑ)の老臣(らうしん)これを聞付(きゝつけ)悪言(あくかう)云(いひ)たる者共(ものども)に。牛(うし)に乗(のり)たる者(もの)の方(かた)へ詫(わび)
言(こと)させやう〳〵無事(ぶじ)にすんたりける
加藤清正(かとうきよまさ)慶州(けいしう)を攻落(せめおと)す事(こと)
加藤主計頭清正(かとうかすへのかみきよまさ)は。小西(こにし)に先(さき)を取(と)られし事(こと)を心(こゝろ)うくおもひ。如何(いか)にもして
敵(てき)に出合(いでやい)。小西(こにし)にまさる功名(こうみやう)なして此(この)無念(むねん)を散(さん)ぜんと。軍馬(ぐんば)を急(いそ)がせ七八十 里(り)
の道(みち)を四月十三日の暮合(くれやい)に。熊川(こもがい)を出(いで)。同(おなじく)十四日 辰(たつ)の刻(こく)に至(いた)り。爰(こゝ)にて見渡(みわた)せ
ば家数(いゑかず)二三万 軒(けん)もあらんとおぼへたる地(ち)に出(いで)。城郭(じやうくわく)雲(くも)にそびえて見(み)へければ
熊川(こもかい)にて生捕(いけどり)し朝鮮人(せうせんじん)に問(とひ)【ママ】ば。慶州(けいしう)と申してむかし高麗(かうらい)の王建(わうけん)か住(すみ)