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大夫(だいぶ)禮(れい)をもつて説士(せつし)となし。燕(ゑん)の国(くに)につかはし燕王(ゑんわう)に説(とか)しめたり。燕王(ゑんわう)は其(その)
理(り)を得道(とくたう)して朝鮮(てうせん)は計畧(けいりやく)する其志(そのこゝろさし)をば止(や)めたり。其後(そのゝち)に朝鮮国王(てうせんこくわう)の
子孫(しそん)に至(いた)りて。其国(そのくに)の冨饒(ふによう)なるにつき其志(そのこゝろさし)しやゝ驕(おご)り。政(まつ)りごと虐(きやく)にして国(くに)
人(ひと)の意(こゝろ)離(はな)るゝを。燕(ゑん)の国(くに)より窺(うかゞ)び兵馬(へいば)を遠(とほ)く入(い)れ動(どう)じ。朝鮮(てうせん)の西境(さいぎやう)を
攻(せめ)とること凡(およそ)二千 余里(より)。満汗(まんかん)といふ所(ところ)に至(いた)つて界(さかい)を立(たつ)其後(そのゝち)秦(しん)六 国(こく)を合(あは)する時(とき)万里(はんり)
の長城(ちやうじやう)を築(きつ)きけるに。遼東(れうとう)を以(もつ)てかきりとして朝鮮(てうせん)は外(ほか)になしたりけり。此時(このとき)の
朝鮮王(てうせんわう)は箕子(きし)より四十 代(たい)の孫(そん)。箕否(きひ)が位(くらい)に立(たつ)て君(きみ)たるに秦王(しんわう)の威(ゐ)におそれて秦(しん)に入(いつ)
て附属(ふぞく)す。否(ひ)死(し)して其子(そのこ)準(じゆん)立(たつ)て二十 余年(よねん)。陳勝(ちんとう)項羽(こう)が乱(らん)起(おこ)り天下(てんか)大(おほい)に困窮(こんきう)し
燕(ゑん)斉(せい)趙(ちよう)の民(たみ)ともやゝ亡(ほろ)びて箕準(きじゆん)に帰(き)す。其後(そのゝち)盧綰(ろくわん)が燕王(ゑんわう)となれる時(とき)
箕準(きじゆん)は燕(ゑん)と約(やく)を定(さた)め浿水(ばいすい)を以(もつ)て両国(りやうこく)の界(さかい)を定(さた)め。其後(そのゝち)に盧綰(ろくわん)は漢(かん)