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時(とき)側(そば)なる者(もの)云(いひ)けるは左様(さやう)に云(いひ)給ふる。此両人(このりやうにん)は狼眼(らうがん)といふて何(なに)ほど哀(あはれ)な事にて
も。涙(なみだ)は出(いで)ぬ生(うま)れつきなり心(こゝろ)には哀(あはれ)なる事(こと)は。人々(ひと〳〵)も同(おな)じ事(こと)なりと云(いひ)ける。此後(このゝち)
朝鮮(てうせん)在陣中(ざいぢんちう)。哀(あは)れなる事三 度(ど)あつて清正(きよまさ)も涙(なみだ)を落(おと)されしかども。此両人(このりやうにん)は
少(すこ)しも落涙(らくるい)せず。こゝにおゐて人々扨(ひと〳〵さて)は狼眼(らうがん)にて有(あり)しかと。若(わか)き人々(ひと〳〵)は笑(わら)ひける
となん。去程(さるほと)に清正(きよまさ)は十月十二日 両王子(りやうわうじ)ならびに后達(きさきたち)を始(はじ)め。大臣(だいじん)都合(つがふ)二百 余(よ)
人を引(ひい)て。吉州(きつしう)まで来りて蓮下(れんが)といへるところに宿陣(しゆくぢん)せり。かゝる所(ところ)に梅天(はいてん)といふ
者(もの)二万 余騎(よき)にて梁養山(りやうやうざん)に陣(ぢん)して。外(ほか)に一万の勢(せい)をもつて清正(きよまさ)がかへる道(みち)をさへぎ
つて討(うた)んとなすよし聞(きこ)へければ清正(きよまさ)が兵士(へいし)。なが〳〵の旅(たび)には労(つか)れ殊(こと)に度々(たび〳〵)の戦(たゝか)ひ
に。手負(ておひ)は多(おほ)くいかゞはせんと評議(ひやうぎ)しける時(とき)。清正(きよまさ)は少(すこ)しもひるまず云(い)はれけるは。
明朝(みやうてう)の合戦(かつせん)には我(われ)先手(さきて)を勤(つと)むべし。横槍(よこやり)は吉村吉右衛門(よしむらきちゑもん)。出田宮内少輔(いづたくないしやういふ)。