← 前のページ
ページ 44 / 451
次のページ →
翻刻
なり朝鮮(てうせん)の南方(なんばう)に当(あた)るとか。其後(そのゝち)百済王(ひやくさいわう)温祚(うんぞ)が位(くらゐ)に立(たて)る時(とき)。此所(このところ)を一所(いつしよ)に
合(あは)せて保(たも)つといへり。是(これ)をもつて考(かんが)ふれば此所(このところ)馬韓(ばかん)と名付(なづく)るは百済国(ひやくさいこく)の旧名(きうめい)
なるに疑(うたが)ひなし。しかるに後世(かうせい)説(せつ)を立(たつ)て馬韓(ばかん)はもと勾麗(かうらい)の名(な)にして。弁韓(べんかん)
はまた百済(ひやくさい)なりといふ者(もの)は尤(もつとも)正義(しやうぎ)にあらざるなり。古(いにしへ)は馬韓(ばかん)の地(ち)広大(かうだい)にし
て五十 余(よ)の国(くに)を立(た)つ。大国(たいこく)といふものは人家(じんか)万戸(まんこ)にあまり。小国(せうこく)といふは千 軒(げん)
に滅(げん)ぜず惣(そう)じて十 余万戸口(よまんこかう)の人家(じんか)あり。また辰韓(しんかん)は馬韓(ばかん)よりは東(ひがし)にあり自(おのづか)
ら立(たつ)て。我々(われ〳〵)か先祖(せんぞ)は秦(しん)の時(とき)の亡人(ばうじん)にて始(し)。【。衍ヵ】皇(こわう)が世(よ)に乱(らん)を避(さけ)てこゝに至(いた)り。韓(かん)
国(こく)に逃入(にげいり)【迯は俗字】しを韓人(かんじん)これをあはれみ韓国(かんこく)の東界(とうかい)を置(おき)て。これに与(あた)へ城柵(じやうさく)
を立(たて)しむと。その言語(ごんご)なほ秦人(しんひと)に類(るい)せる事(こと)のありともいへり。或(あるひ)は是(これ)を
辰韓(しんかん)と号(なづ)く辰韓(しんかん)乃(すなは)ち後世(かうせい)新羅(しんら)なり始(はじめ)め【め衍】のほどは国(くに)に主人(しゆじん)なき時(とき)は馬韓(ばかん)に乞(こ)ふて。