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押(おさ)へて奪(うば)ひ取(と)る。天皇(てんわう)は大臣金村(だいじんかねむら)とこれを議(はか)り。鹿鹿火(ろかひ)と云人(いふひと)を大将(たいしやう)と
し岩井(いわゐ)を誅殺(ちゆうさつ)せしめ。近江(おふみ)の毛野(けや)と云(い)ふ者(もの)を三韓(さんかん)へつかはし。政(まつりこと)を行(おこな)はしむ
毛野(けや)三韓(さんかん)に至(いた)りて勅詔(ちよくぜう)を宣(のふ)るときは。高(たか)き所(ところ)に登(のほ)つて是(これ)を宣(の)べわたせば。
三韓(さんかん)の諸臣(しよしん)は庭(には)に在(あつ)て是(これ)を承(うけ給は)る。この御代(みよ)に百済(ひやうさい)より五経(ごきやう)の博士(はかせ)段揚尓(だんやうじ)
といへる者(もの)を指遣(さしつかは)せり。同(おなじ)き廿九 代(だい)宣化天皇(せんくわてんわう)の時(とき)に百済国(ひやくさいこく)より使者(ししや)あり
て。新羅(しんら)より兵(へい)を起(おこ)し任那(あまな)の国(くに)を攻(せ)め百済(ひやくさい)まで寇(あだ)し來(きた)れり。援(すくひ)の兵(へい)を賜(たま)へ
と請(こ)ふ。これに依(よ)りて大伴(おほとも)の挟手彦(さでひこ)を大将軍(たいしやうぐん)となし。大勢(おほぜい)の兵士(へいし)をつかはさる
挟手彦(さでひこ)は大臣(たいじん)金村(かねむら)が子(こ)なりけり。挟手彦(さてひこ)勅命(ちよくめい)に応(おう)じて任那(あまな)を平(たいら)げ。百(ひやく)
済(さい)を救(すく)ひ助(たす)けて軍功(ぐんこう)を立(たて)たりけり。挟手彦(さでひこ)が妾(せう)松浦佐用姫(まつらさよひめ)が夫(おつと)が夫(おつと)の別(わか)れ
を悲(かなし)んで高山(かうさん)の巔(いたゞき)にかけ登(のぼ)り。漕行舩(こきゆくふね)の影(かげ)見(み)ゆるに領巾(ひれ)ふる袖(そで)を返(かへ)して