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ち兵船(ひやうせん)を造(つく)り。武器(ぶき)を調(とゝの)へ給ふべき為(ため)として。まづ難波(なには)まで行幸(ぎやうこう)あり。皇太(くわうたい)
子(し)中(なか)の大兄(おほえ)を摂政(せつしやう)とし。諸国(しよこく)の軍(くん)を招集(めしあつ)めらる。備中国(ひつちうのくに)下(しも)の郡(こふり)の一郷(いちがう)よ
り人数(にんす)二 万(まん)を出(いだ)しければ。其国(そのくに)を号(がう)して二万(にま)の郷(がう)とは名付(なづけ)たり。明年(みやうねん)の春(はる)
すでに御(お) ̄ン船(ふね)を進発(しんばつ)あり。伊予(いよ)に泊(とま)り土佐(とさ)に至(いた)り給ふ時(とき)。其所(そのところ)に社(やしろ)ありその
神木(しんぼく)を切取(きりとつ)て仮(か)りの内裏(たいり)を造(つく)り給ふを。とがめ給ふ神(かみ)の祟(たゝ)りにや新造(しんざう)の
御殿(ごてん)忽(たちま)ちくづれて。死(しゝ)たる者(もの)もまた多(おほ)し。同(おなじ)き年(とし)の七 月(がつ)に天皇(てんわう)も又(また)。朝倉(あさくら)
の宮(みや)に崩御(はうぎよ)【ママ】ある。同(おなじく)三十九 代(だい)天智天皇(てんちてんわう)の御宇(ぎょう)即位(そくゐ)の年(とし)。将軍(しやうぐん)阿曇比羅(あつみのひら)
夫(ふ)可邊(かはべ)の百枝(もゝえ)等(ら)を大将(たいしやう)として。百済(ひやくさい)を救(すく)はんため兵粮(ひやうらう)武具(ぶぐ)を贈(おく)り給へ。同く
九月(くがつ)百済王(ひやくさいわう)の王子(わうし)豊璋(ほうしやう)を免(ゆる)しつかはし。秦朴市田來津(はたえいちたくつ)等(ら)に五千(ごせん)の兵(へい)を指(さし)
添(そ)へて送(おく)り遣(つか)はさる。福信(ふくしん)もまた中途(ちうと)まで出(いで)迎(むか)へて豊璋(ほうしやう)を百済(ひやくさい)に奉請(うけしやう)じ。